経営百話


昨年来、パナソニック、ソニー、シャープといった白物家電メーカーの業績悪化が取りざたされています。円高、デフレ下での経営努力は並大抵ではないと思いますが、その中で何か「経営の原点」という事が希薄になっていることも否めない気がします。


ここに松下幸之助氏の「経営百話」があります。氏の言葉を噛み締め、原点に戻る必要があると考えます。そして、この百話が紹介し終わる頃に、日本経済の復活が見られることを祈りたいと思います。


第100話 感謝の心をもって


 楽しいということを感じるということについては、いろいろございましょうが、私は聞かされるところによると、楽しいということの大きな根底は、やはりありがたさがわかるということやと。ありがたさがわかるということが、楽しさというものを生み出す大きな原料だということを聞かしてもらいました。そういうことについて一応の疑問をもっておりましたが、自分は(松下電器の)五十周年を経てきまして、それがそうだというような感じを最近高まってまいりました。

 

 いまお互いに物資につきましても、こういうものをほしい、ああいうものをほしいということで、時にはけんかをする。時にはお互いにみにくい争いをするというようなこともやっています。しかしなるほどある一つのものをほしがるということは、人情として、欲望としてもっともなことだと思うんであります。しかし、そのほしがるものが何であれ、それは一つのものにすぎない。しかし空気というものは、そういうものよりももっと大事なもんである。水も大事なもんである。しかし、水は一日飲まんでも生命に危険がない。空気は五分間なくなればもう生命がなくなるということのようであります。それほど大切なものが、もう非常にふんだんにあります。


 そうでありますから、われわれがここに生かされているということは、まず空気がふんだんに与えられているということによって身が保っているということについての理解というもの、あるいは喜びとでも申しますか、そういうものをどの程度感じてるかというと、実は私もそういうことはあまり考えたことございません。しかし聞かされてみると、なるほど金儲けも大事である。仕事も大事である。わが使命というものも大事である。使命には命をかけようということも意義があるように思う。しかし、そういうことでも、五分間空気を止められたら、もうきみは死んでしまうんだと言われてみると、なるほど空気というものは一番大切なもんやな。それが無限に与えられている。ある一つのものをほしいためにお互いにけんかする、みにくい争いをするということも時には意義があることかわかりません。時には意義のあることかもわからんが、そんな小さいものよりも、もっと大きな、無限と申していいような空気が無限に与えられてるということに対するどういう感じをもってんのかということを問われてみた時にはたと私はつまったのであります。


 なるほど考えてみればもっともっと大事なものが、もっとなくてはならんものが、無限にあたえられてるということに対して何らの感じももってなかったということは、心の狭い考えであった。もっと広い自然の姿をながめたならば、無限に生かされてるというのがわかる。人間みずから生きるという努力というものはそのうちのごく一部である。みずから生きるというものはごく一部である。その一部分によっていろいろ問題をおこしているということは、何だか自然にすまないような感じがするんであります。無限に生かされるあらゆる要素というものを与えられてる。それに対して何らの感じももたない。そして、そう大切でないというようなものに心を奪われて、ものを判断するということは、あまりに小さい自分であった、というような感じも実はいたしておるしだいでございます。


(昭和43.5.18)


 自分は自分の力だけで生きているのではない、自然の恵みを受けて生かされているのだ。そう気づいた時、そこに生かされていることに対する深い感謝と、生きていることの大きな喜びが生まれてくるというのですが、いかがでしょうか。


 いずれにしても経営者には、日々のきびしく忙しい生活の中で、それぞれなりに生きがいを見出し、積極的に生きていくという姿勢が求められています。そしてその過程においては、つねに、このような人間としての感謝の心を忘れないことが大切でしょう。経営者としての心根に、すべての人、すべてのものに対する感謝の念があってこそ、人間的な魅力も増し、人びとの信頼も高まって、事業成功への道も力強くひらける、と言えるのではないでしょうか。




第99話 現代は芝居の舞台


 私は最近、世の中の姿を見ましてですね、困るなこれは、かなわんな、という考えもしばしもちましたが、最近はどういうことがおこり、どういうことになるか知らないけれども、この大きな世界的な激変と申しますか、世界的な変動期に生をうけているということはまことに幸せである、というような感じをもてるんやないかという感じするんであります。


 五百年前に生きとったならば、五百年前の動乱というものに出くわして、まあいろいろとそこにまた問題があったと思いますが、しかし、その動乱といいましても今日ほど大きなもんではない。それは一部局の動乱である。むしろそれによって命を捨てるか捨てないということもありましょう。それは一緒かもしれない、今と。しかし、大きな舞台において、その舞台が変転万化するというような時代にいきあわして、そしてそれに取り組んでいくということは非常にこれは幸せなことやないか、ということでですね、私は若い会社の人にも、「ぼくもそうだがきみならなおそうだ。きみならなお長く生きるんだから、この変転きわまりないところの時代にきみが生をうけてきたということは、非常にきみには意義あることや。これに向かって敬虔なる態度をもってこれに取り組んでいこう、そこに生きる喜びというものを考えないけない。ぼくがすでにそう考えてるんだ。だからね、やっていこうやないか」ということを言うておるんでありますが、そう言うとですね、確かにそうですな、単に昭和元禄として、今日一日の勝利を楽しむということだけで終わってはならない、そういうこともある反面に、良く、広く、高く、人生を見つめて、そしてこの時代に生きていくということに喜びを感じなならんということも、わかってくれるような感じもするんであります。


 みなさんも私はそうだろうと。ほんとうにお互いは、非常にこのめまぐるしく変わるところのまあ時代に生きてる。それは政治の移りかわりにも生きてる。また、技術の移りかわりにも生きてる。生活の諸種の面においても大きな移りかわり、それに生きている、それに対処していく、というようなことは、これは考え方によっては、過去にあり得ない今日に生きてるということを考えてみますとね、これはもう大変おもしろいという感じがするんであります。


 まあしかし、だから結構ということは、そういう時代に生きてそれに対処することが得られるから、対処し得るから、そういうことと取り組んで仕事ができるから生きがいがあるんだと、こういうようにならなければ、これを高みの見物してたら、つまり要するにおもしろうない。やはり舞台で仕事をしなくちゃならん。舞台で芝居をしなくちゃならん。お互いがその舞台で活動しなくちゃならん。見物者になっちゃならない。そやないとほんとうの味がわからないと、私はこう思うんです。


 われわれは今、大きな世界という舞台で、そして変転きわまりなき変化の芝居に役者としてたってるんだ。こんなおもしろい芝居はないんだ。こんなおもしろい芝居をする役者はないんだ。こういうような見方をしたらどうかという感じするんです。


(昭和44.4.11)


 自分は変転きわまりない現代という舞台にたつ役者であり、こんなおもしろい芝居をみずから演ずることができる機会は、そうあるものではない。松下幸之助氏はそのように考えて自分を励ましつつ、今日という時代に対処しているというのです。


 今日の時代に生を受けたということを一つの大きな運命と観じ、そこに腹をすえて、経営者としての人生を歩むことが大切ということでしょう。



第98話 生きがいの多い時代


 非常に困難な時代である。、商売の競争も非常に激しい時代である。三年ほどぼやぼやしているともうすっかり地位が変わってしまうほど、まあ商売も激変する時代である。そら、昔の時代の方が悠長であるから非常に安定している。今はもう安定も何もない。安定ということばはもうなくなるほど激変の時代である。そういう時代でありますけれども、だから困るんやなくして、だからおもしろいんだと、こういうように考えますと、私は今日は、みなさんもさようでありますが、今日生きておるところの人びとというものは、過去のいかなる人の時代よりもおもしろい時代である。おもしろいというよりも、非常に有意義な時代である。この時に生きて、そして、それぞれの思いをもって、わが仕事に対してとりくんでいくということが非常に恵まれた世代に生きたもんだという考えをもったらどうか。少なくとも私は、そういうようにもたなんだらいかんぞと、私、自分で自分を言うて聞かしてるんです。


 だから、危険といえば非常に危険ですね。なぜかというと、昔は侍であると、〝敷居を跨いで出たら七人の敵があると思え〟という戒めをうけたんでありますが、そう無茶に命をおとすことはありませんが、今日はもう外へ出たならば、もう一年に百万人の死傷者がある、交通だけで。こんな時代というものはありません。いかに戦争が激しい時代でも、こんなに一年間に百万人の人が傷つき倒れるというような時代はありません。危険といえば非常に危険な時代である。あまり交通問題は戦争以上に悲惨化してませんけども、戦争よりも悲惨な状態はこの交通状態である。戦争であれば、殺された方は悲惨であるけれども、殺した方は手柄話もできる。けれど今日は、傷つけた方はよけい悩む。なんとか弁償しなくちゃならん。なんとか慰問しなくちゃならん、といって非常に悩む。そして、叱られる。戦争であったならば、殺された方は大変自慢話する、ご褒美ももらえる、という時代であり、まだ戦争の方がそういう点においては一方は悲惨だが一方は恵まれる。今日は殺された方は、これほど悲惨で、戦争で殺されたと一緒である。しかし、殺した方は喜ぶどころの騒ぎやなくして、非常に煩悶して中には自殺する人もある。自殺しないまでも財産なくしてしまう人もある。あるいは、怏々煩悶して仕事につかんというような悩みももっている。これほど悲惨な状態は過去のいかなる時代にもなかったと思うんですね。


 加害者も被害者もともに悩むというのが今日の時代である。そういう時代にわれわれは生きてるんだ。そう考えれば私は今日は非常に危険な時代にわれわれは身をさらしてんやな、こらかなわんな、という感じがするんであります。しかし、先ほど申しましたように、そうではあるけれども、まことに危険な時代であるけれども、交通の問題だけやなくして、その他いろんな闘争がおこってくるような問題もたくさんひかえておりますけども、しかし、昔からみると、まだまだ今日は生きがいがあるんだ。それは、そういうような時に生きぬいていくというところにですね、非常に興味をもっていく、そこに生きがいを感じていくというような考え方をしなくてはならんかと、かように思うんであります。


(昭和44.5.5)


 いつの時代においても、経営者として生きるということには、大変なむずかしさを伴うものです。しかし困難な時代であればあるほど、そこに一層のおもしろみも生きがいもある。そう感じてこれに積極的に対処していくという姿勢が経営者には大切だというのです。


 どんな場合でも発展への道はものごとを明るく前向きに見るところからひらけてくるのではないでしょうか。


第97話 全力を尽くしたあとに


 その仕事もですね、非常に小規模なもんでありまして、最初、夫婦が二人で仕事をするというような域を出てなかったんであります。したがって、それが相当大きくなっていくというようなことも考えもしませず、まあきょう一日一生懸命にやろう、というような状態にすぎなかったと私は思います。正直なところ、そうであります。しかし、きょう一日の仕事だけは一生懸命やるということは、私は強かったと思うんであります。


 そういうような状態で二、三年やりまして、多少お得意もつきましたし、また人も雇うようになりました時のことを、今、思い出すんでありますが、それは夏のころでございました。まあ晩いっぱい、日いっぱい仕事をするわけであります。そうして晩には行水をやるんです。今はもうあんまり行水やるといううちも少ないんでありますが、四十年も前のことでありますから、行水をやるんであります。


 その行水をする時に、自分でフッと感じましたことは、〝自分ながらきょうはよくやったな〟という感じであります。非常に満足感であります。これは誰しもそういうことはお感じになられると思うんです。自分ながらきょうはよくやったというて、そして自己満足をするという心境とでも申しますか、そういうところには私は非常にこう、何だかこういきがいというようなものを感じたように思うんであります。


 これが非常に私は大事なことやないかと思うんです。自分ながらよくやったというて自分をほめる、自分をいたわるとでも申しまするか、そういう心境が私は非常に大事なことやないかというう感じいたします。人にほめてもらうというよりも、私はありがたいことだと思います。しかし、まず自分が自分でほめるというような心境、またそういう心境に値するような仕事ぶりというもの、そういうものをしたかどうかということであります。


 私は、ありありと四十年前のことを感じますのに、そういう〝きょう一日よく働いたなあ〟というような感じを、タライに湯を入れて、そこで行水4ているというその間に感じてですね、行水も非常にさわやかな感じをして、そして晩飯を食べるというようなことを、まあ感じておったんです。まあむしろ私は、その当時が一番天国であったと思うんです。


 その後だんだんとみなさんのお引き立てを頂戴いたしまして、今日、松下と言われるようになったんでありますけれども、個人的な満足感と申しますか、まあ喜びと言いますか、希望に満ちて生きがいとでも申しますか、そういう時のその当時のことが、もっと私はうれしいもんであった、尊いもんであったというような感じいたします。


(昭和38.10.17)


 従業員が二十人ほどだった頃、松下幸之助氏は一日精いっぱい働いたあと、自分で自分の頭をなでたくなるような何ともいえない充実感、仕事のしがいを感じたということです。こうした全力を尽くしたあとの満足感、安らぎこそ、経営者としての生きがい、喜びの原点とも言えるのではないでしょうか。




第96話 最高責任者の孤独


 信長にしてもあるいは秀吉にしても、まあ家康にしても、私はある共通性あるというのは、今、働いている最中は、みな手を握って、こうやっていくわけですな、早く言えば。ところが、総大将というものになると、部下は見方が変わるんですわ。だから自分は同じようなこういうんで手をさし伸ばしておっても、一方は見方が変わるわけですね、早く言えば。ヒットラーでももうあれもう、つまり要するにああなった時には、ほとんど友人なくなってるんですね。部下はあるけど、友人がないわけですね。家康も私そうだと思うんですね。それはまあ一人や二人なら腹心の、というようなこと言いますけどね、それは腹心の要するに人であって、ほんとうの親友はなくなるんですね、最高というものは。


 お釈迦さんがですな、三千人の弟子をもって、まあ説教なさるんですね。ところがいよいよお釈迦さんもああいう修行なってですね、そういうまあほんとうの釈迦牟尼仏というような非常に尊貴な人になった時に、三千の弟子に説教する時に、自分がニコッとこう笑うてですね、以心伝心で、それをキャッチしたちゅうのは一人しかないです。阿難尊者一人です、ということまあ書いてまんねや、違うかどうかわかりまへんで、私は。私はね、そんなもんやとおもいまんな。釈迦の力をもってしても、それほどのもんですね。ほんとうに自分を知ってくれるというのは、上になりゃなるほど少なくなるんですよ、これが原則ですわ。それが非常に大事なことなんですね。みんなが奉ってくれて、みな友人がみな今度は家来になっちまうわけですな、早く言えば。誰もほんとうのことを言うてくれないわけです、ほんとうはね。そこで言わざる声を聞くというような謙虚さがですな、必要になってくるんやないかと思いますな。


 で、私はそういうことを経験したことありまんねや。で、私は何もナポレオンみたいに偉い人間やおまへんで、上がってへんけども。もしかりに私がそういうふうに、何か第一人者というふうになれば、むしろ不幸がくるわけですな。心の上にもいろんなつまりさびしさが出てくる。つまり孤独になるわけですね。その孤独になるということに対する、いかに処していくかということがですね、考えられなければ私はいかんと思うんですよ。


(昭和37.7.4)


 最高の地位についた人の周囲には、いわゆる命これに従う者は多くても、ほんとうのことを言ってくれる友人や部下はきわめて少なくなるというのですが、この話に共鳴される方も少なくないことでしょう。それだけにトップにたつ者にとっては、いわゆる声なき声に耳を傾ける謙虚さというものがきわめて大切だというわけです。



第95話 経営者と遊び


 それはなにも経営者がなんぼ経営が好きやからと言うて、レジャーとかなんだか、そんなこと全然、放ってしまう必要はない。そらやはりそういうレジャーとか、そういうことも、そらぼくはやっていいと思う。やっていいと思うが、ある一つのゲームをやって、ゲームおもしろいなと言うてるそのゲームのおもしろさのなかに、ホッとヒントを受ける。〝お、これは、商売にこいつを利用したらええな、経営に利用したらええな〟というようなことが思いつくようなことがある、レジャーやっとっても。レジャーやっとっても、そのレジャーがもう経営に結びついている、こういうことやね。そういうようなことになっている。レジャー大いに結構である。レジャーやることによって、商売がうまくなる。上手になってくる。こういうふうにならにゃいかん。


 けれどそれが、商売とか、経営が嫌な人やったら、そういうことがつかめない。レジャーはほんとにレジャーとして堕してしまう、ということになるだろうと思うんですね。それでは、ほんとうに商売好きということにはならない。だから、ぼくは、表現は十分にようしませんけど、そういうものやないかと思うんですね。


 これはもう少し話をするとですね、お茶屋や遊びをやっているという人もたくさんあると思うんですね。このごろはだいぶ少なくなったが、昔は、ほとんどもうお茶屋へちょっとした人は出入りしとったわけだ。それでも、茶屋遊びに堕してしまう人がある。それで、身上失う人もある。しかし茶屋遊びして、得意をだんだん広げていく人がある。それでなかなかその商売繁盛する人がある。同じように遊んどるけど、一人はつまり要するに金使うてからに商売まで放っちまう。一人は、お茶屋遊びをしつつ、だんだん得意広げていく。商売うまくなっていく。芸者衆からも「あんた、もの買うんやったら、半襟ひとつ買うんやったら、むこうの襟屋よろしおまっせ」と言うて、芸者がちゃんと宣伝してくれる。「そうか、そんなんやったらそうするわ」と言うて、つまり要するに自分の同僚の芸者も、その襟屋へ半襟階にいく。こういうようなお茶屋遊び、いろいろあるわけやな。


 経営が好きやからというて、何もかも忘れてレジャーも何もかも忘れてやっていくのも、それは好きやから、それはそれでよろしい。しかし好きでさえあれば、かりにまた、そういうような遊びを忘れてやってしまうという以外に、遊んでも、経営の好きな人は、ちゃんと遊びそのものを有効に使うわけである。まあそれは何もかもというよりは、一方に片寄るという場合が多いけれども、しかしまあ、私はそういうもんやないかと思う。


 で、そういうことが、まあうまく理解できたら、商売というものも良くなるだろうと思うね。


(昭和47.12.15)


 ほんとうに経営が好きであれば、たとえ遊びの中にも経営の役にたつことが必ず見出せる。経営者はそのように遊びをも経営に生かすという意識をつねにもっていなければならないということです。


 そこまで徹するならば、経営者としての生きがいも一層確固としたものになり、事業をhぽんとうに力強く発展させていくこともできるということでしょう。



第94話 きびしさの中で


 オリンピックの選手の練習ぶりをみて、つくづく思うんですがね、あんなに苦しいことをやらんでもよさそうに、こう思うけどね、しかし、あの選手になる人はもうそれにもう生命を賭しているというか、全身全霊を打ち込んで、そしてそこに非常に、自分で喜びを味わっておるんやないかと思うんです。金儲けのためでもなし、何のためでもない、と思うんですけどもね、しかし、それ以上のものをあの選手達はやっぱり味わってるんやないかと思う。まあ、でる時間は、百メートルの競争であれば、一分もかからんぐらいやね。実際のひのき舞台で勝負するのは、一分しか、もうかからない。あっという間にすんでしまう。それに二年も三年も、苦しい練習をしている。


 ぼくはニチボーのバレーをやる練習を見ましたがね、実にすさまじいもんやね、実際。銭金であんなことやれと言うたかて、おそらく一人もやるもんやないと思いますね。あんたに十万円月給あげるさかいに、やってくれたって誰もやらないと思うんですね。命がけですわな。よくあそこまでやったな。それが、まあプロとかいうんなら、まだこれもね、職業的な意識でやるという場合があるけど、あれはプロでも何でもない。しかしプロでもできないほどの猛烈な練習をやっているんですね。ハラハラするぐらいです。それが女性やからね、えらいもんやなと思うたですがね。よほどあれは苦しいんだろうと思うけど、本人はあまり苦しいとは思うとらんのやね、早く言えば。なんやどっかに、こう、喜びを感じとるんですね。


 私は、やはりわれわれは、まあ、ああいうあそこまでいく必要ない、あそこまでいきゃ行き過ぎやと思うけどね。まあ、われわれは本業としてやるんやから、また違った意味においてものの見方がありますから、考え方もあそこまで思いつめてやらなくてもいいと思いますけども、しかし、なかなかまあきびしい練習もせんならんし、きびしい開発もしなくちゃならん、それには単に汗を流すだけやなく、知恵をしぼるとでも申しますか、そういうような状態に再再直面する、そして知恵をしぼっていくというようなこともやらなくちゃならん。


 まあ、一面にそういう選手の苦しみというようなことが、見た目では感じるかしらんけども、端から見たら、あんだけ勉強したから苦しいだろうな、やせやしないかというて、端がハラハラするようであっても、本人は苦しみを感じるというようなことでは私はあかんと思うね。本人はそのこと自体に、非常なつまり要するに、感激と喜びと、生きがいを感じるということやなければいけないですね。で、そういうようなことやないと、ほんとうにものというものは成就しないと思うんですね。だから、疲れをおぼえるというようなことで仕事をするということでは、ほんとうは私は仕事になっておらんのやないかと思うんですね。


 疲れを、いぼえるんやなくして、むしろ、疲れが休むんだというぐらいですな。そういうようなことは、少し理解しにくいかもわからんけども、まあ、そういうような境地を多少とも味わっていくという状態にいけば、もうおそるべき成果というものが上がるんじゃないかと思うんですね。


(昭和43.10.5)


 周囲の人から見れば大変な苦労に思えても、本人は嬉々としてその仕事に取り組んでいる。つまり、苦労することの中に生きがいを感じているという姿であってこそ、大きな成果も上がるということでしょう。


第93話 悩み不安の中で


 人間というものは、ともすれば他を見て自分の精神をグラつかず、他人の花が赤う見える、自分の仕事はこれでいいんかどうか、というような自信を失う時がございます。私自身でもやはり今日相当仕事をさしていただいておりますが、考えてみれば日にちこれ不安であります。


 しかしまたその不安を感ずる場合にこそ生きがいというものがあるんだ。不安も何にもなくですね、安心しきって仕事をできるというと、一面に結構なようでありますが、そういうことが一年続き二年続くと、やはり私の精神がどっかにゆるみがでて、そこに退廃的な心が自然に生じてくると思うんです。


 人間は安心しきることはあり得ないと思うんであります。もし安心しきる人があれば、それはもう神に近い人であるか、あるいは本質的にバカであるか、どちらかと私は思うんです。普通の人間は、日にち不安を感じる。しかしその不安を克服していくという戦いをそこに挑んでいく。そういうところにまたその瞬間の生きがいを感じていく。そういうことの繰り返し、連続である。これは人間の一つの姿やないかと思うんであります。


 悩み多き販売業界であるかもしれない。しかしその悩み多き販売業界にあって、日にち不安を感じつつ、そこに自己の運命を切り開いていくところに生きがいを感じていくというものをもたずして、私は人間生活というものはあり得ないと思うんであります。


 まあそういうことでありますから、私自身のことを申しあげて、はなはだ恐縮なんですが、私は過去五十年松下電器をば経営してまいっておりますが、この間に今も申しましたように日にち不安である。しかしそれじゃ、不安の連続であるかというと、不安の連続でありますと精神的にまいってしまい、肉体的にもまいってしまってですね、今日の成果は上げ得られなかったと思うんです。


 しかし、日にちの不安であるにもかかわらず、今日こうしてみなさんのご愛顧を被ってやっていけるということは、その不安の中に、生きがいがあるんだというような考えも織り込みまして、ともかくこの五十年をまあ生ききってきたと自分で思うんであります。


 これは非常に小さい規模の時から、今日多少規模が大きくなりましたこの五十年の過程全部を通して私はそうだと思うんですね。まあ考えてみますると、やはりいろいろの心配、いろいろの不安、そういうもんがつねに付きまとっておったというところに、今日の私自身がある、松下電器の今日があるんだという感じいたしております。今日もなおそういう感じが少しも抜け切っておりません。みなさんの前でこういう話をするということは、いかにも自信あるようなことになりますけども、ほんとうは心にはたえず不安動揺しているんであります。しかしそれに終始はしていない。不安動揺しつつあるが一面に、それと同時にその不安動揺を押し切って、新使命を開拓しようという勇気も、またそれと同じように一方で湧いてくるということです。そこでバランスがとれて今日が保っておるんやないかと思うんであります。


(昭和42.9.15)


 経営者の日常は、言うなれば悩み、不安の連続。しかし、そうであればこそ、そこに不安動揺を克服して新たな使命を開拓しようという勇気もわいてくる。松下幸之助氏のこれまでの歩みは、そうしたことのくりかえしであったということです。


 悩みや不安の中にこそ生きがいがあるということは、一見相矛盾した姿のように思われますが、そのようなことが実際に成り立つところに人生のおもしろさ、深みといったものがあるんではないでしょうか。


第92話 瞬時も休めない生活


 まあ、私どもメーカーとしてたっておるんでありますが、メーカーもやはり一ついいものをつくりますと、もうじきにですね、もう瞬間と申していいほど同じものができてくるんです。


 昔でありますと、一つ考案いたしまして、それをば売り出しますと、半期でありますとか、一年くらいはですね、まあ独壇場というような立場にたつことができたんでありますけれども、最近は決してそうはいきません。新しいものを考案いたしましても、もう三月もすれば、もうすぐそれと同じようなもの、あるいはそれ以上のものが、生まれてまいりましてね、売り出されていく。非常にその独創的なものを考えましても、寿命というものがきわめて短いんであります。


 そうでありますから、まあ考えてみますると、一日も安閑としておられない。抜きつ抜かれつつ、まあしていく状態においてですね、仕事を進めていかなくてはならん。しかし、そういう姿にまた一つの進歩というものがありまいてですね、非常に業界全体と申しますか、産業界全体というものを発展せしめているというようなことになっておると思うんであります。


 そういうようなことを考えてみますると、やはりいろんな問題があることがむしろ望ましいんであって、ないということはやはり好もしいことでないんだ。まあ経営者としては、瞬時も休まれる時がない、と申すような時代こそ、経営者の生きがいとでも申しますか、そういうものを感じる時やないか、というように感じまして、みずから、鞭撻、発奮をしておるというのが、まあ私どもの心境でなくちゃならんかと、かように考えている次第であります。


 みなさまはみなさまで、またそれぞれお立場お立場によって、いろいろのお考えをおもちになって、そこに信念をうえつけて、信念を培養して、そして時代に処していっておられるんだろうと、まあ、かように思う次第であります。


(昭和42.11.21)


 技術が刻々に進歩し、競争がますますはげしくなりつつある今日においては、せっかく開発した新製品の寿命もそう長いものではありません。いきおい経営者は、気の休まる間もない日々を送らなければなりません。


 しかし、そうした生活なり時代にこそ、経営者は生きがいを見出し、みずからを励まし発奮していかなければならない。そこからみずからの企業はもとより業界発展への道もひらけるというのですが、いかがでしょうか。


第91話 責任ある地位にあればこそ


 経営者であれば、小さい商店であろうが、大きな商店であろうが、店主となり、あるいは最高幹部となってやっていけば、人が遊んでおっても自分は遊べない。また遊んでおっても、心は遊んでおられないというような、まあ非常に私は窮屈な、というような話をするようでありますが、そうやなくて、そういうところに生きがいを感じる、そういうところにおもしろみがあるんだと、早く言えば。そこに経営者の救いがあるんだ、早く言えば。こう私は思うんですね。それが、これだけは要するに勤務時間である、これだけは自分の時間である、というよいうなことをやってんのは、まだそれは一社員として勤務している人には、そういうことも私はあり得る、またあるのがあたり前やないかと思いますが、いやしくも何百人何千人の頭にたって、その人達の安危をば自分の双肩に担う以上は、自分の時間というようなものは絶対あり得ないと私は思うんです、ほんとうは。


 それやったらもうそういうことするんやなかったという人もあるかもしれませんが、まあ私は結局お互いが営々と努力して、そしてある地位を得たという、それは楽するんやなくして、ある地位を得たということは、さらにそういうような境地に入るということやと思うんです。それにおもしろみがない、それに苦痛を感ずるというようなことであれば、必ずその事業はうまくいかないと思うんですね。多くの人にも安心を与えることができない。


 これは非常に大事な問題でありますから、まあ一つみなさんにも、本年は責任の処にたつ者としてはですね、休む暇もないほど苦労が多いんだ、考えてみればつまらない話だ、けれども、そこにまた別途に一つの生きがいを感じるんだ、こういうようなことになれば、私は大丈夫だと思うんですね。人に喜ばれ、その事業は発展し、自分が担当している部署というものは、どんどんと伸びていくだろうと思うんですね。


(昭和41.1.19)


 多くの従業員の頂点にたつ経営者は、大きく重い責任が課せられています。大変といえばまことに大変な毎日です。しかし、そのように責任が重く苦労の多いところにこそ、自分の存在の意義を見出し、仕事のしがい、生きがいを感じることが大切だ、と松下幸之助氏は言っています。そこまで徹するならば、疲れを知らずに経営者としての任務を果たすことができ、多くの人びとにも喜ばれつつ事業を発展させていくことができるだろうというのです。


第90話 公と私の葛藤

 

 私は六十年間、商売を見てきましたが、その間お得意先もずいぶんたくさんあります。何百、何千という経営体と直接取引きもしてきましたし、またその経営ぶりも見てきました。しかしつびれていく、まあ悪くなっていく、経営がうまく進まないという商店、会社の経営は、まあおおむね経営者がその会社をつぶしている。あるいは経営者に準ずるような人びとによってその会社をつぶしている。そして当のご本人は決してそうは思わない。〝一生懸命にやってんのや、一生懸命やっているけれどもうまくいかないんだ〟ということを嘆いておられる。しかし静かに外部から見ますると、つぶしている者は誰かと言うたら、従業員でも何でもあらへん、きみ自身やないか、経営者自身やないかと言えるんです。国でもそうです。国でもつぶすのは一国の支配者である。一国の支配者如何によって国がつぶれる。

おこすのもまた支配者であると、こういうことですな。

 

 賢い人は会社をおこし、国をおこすことになります。しかしまた同時に、賢い人は会社をつぶし国をつぶすと、こういうことですな。平凡な人は、おこしもせんかわりにつぶしもしない(笑)。まあ無難にいきまんな。そうですから、賢い人は非常に危険である。一面非常に希望がもてるけど、一面非常に危険であるということが言えるんです。そうですから非常におもしろいもんやと思いますな。だから賢い人、国をつぶす賢い人と国をおこす賢い人とどんだけの差があるというと、紙一枚の差ですな。もう紙一枚も差がない。それで一方がおこす、一方がつぶす、大変な違いがある。

 

 私は今までずいぶん人を使ってきて、いろんなことがありましたけどね、おおむねうまくいきましたけども、時にやっぱり失敗する人がある。〝あのしっかりした男が〟と、こうなるんですな。けれども、そのしっかりしているというのはね、結局はどこが違うということをさらに煎じつめていくとですな、結局〝私〟というものがあるんですな。一方成功する人には〝私〟というものがない。賢さは一緒である。しかしちょっと私心が入るんですね、そうすると非常に差がでてくるんですな。

 

 だから、一国の首相と言われる人も、非常に政治家として立派である、なかなか結構である。けれども、その立派な人であっても、私心があったらそれはあきませんな。一国の首相となるような人は、まったくの私心のない人やなけりゃ、ほんとうにうまくいかない。会社の社長でもね、私心があったらあきませんな。われわれでも私心があったらあかんと思うんですよ。

 

 私は私心をもたないように、〝私〟というものを忘れないかん、ということを始終自分で言うて聞かしているんですよ。これ(会社の仕事)は天下の預かり物や、天下の預かり物やから大いにやっていい。遠慮せんとやっていい。けれども〝私〟が出てくるんですよ、どうしても出てくるんですよ。出てきたら危険やから、私は自分と今葛藤しているんですよ。私心を消すこと。消すと言うても、私心が出てくると、こういうことでんな。

 

 だから、みなさんのようなお若い方はですな、私以上にね、私のようなもう老人でもやっぱり〝私〟が出てくるんですから、個人的欲望というものが出てくるんですから、みなさんは元気はつらつとしているから、いろいろな面において欲望が出てくるやろうと思うんですよ。また欲望出なあかんですわ、実際は。けれどその欲望がですな、公の欲望と私的欲望とがある。必ず私的欲望がついてまわりますよ。この私的欲望をどの程度におさえることができるか、公的欲望をどう出すかということの葛藤が、みなさんの私は葛藤でなきゃならんと思うんですな。そういうことに打ち勝つことができたならば、すばらしい成果を上げることができると思うんですね。

 

(昭和51.5.10)

 

 成功する経営者と失敗する経営者の間にある大きな違いは、いわゆる私心にとらわれず公の心でどの程度ものを見ることができるか、ということにある。つまり、私の欲望に打ち勝つ経営者であってこそ、事業に隆々たる繁栄、発展をもたらすことができるというのです。私の欲望にとらわれず、公の欲望を優先させるということは、ことばをかえれば、素直な心になるということです。松下幸之助氏は、八十歳を超えた今日においてもなお、心の中で公と私の葛藤を続け、素直な心になろうと努めていると言いますが、そのように私心にとらわれず、素直な心で物事を見ることができるようみずからを顧みるということが、経営者にはつねに大切なのっではないでしょうか。


第89話 帝王学のすすめ

 

 トップになると、私はむしろはかないもんだという一面があるということを申し上げたい。これは私の詭弁でも何でもありません。と申しますのは、秀吉の例を出しますが、秀吉はトップになっちゃったんですね。そうするとガラリと人が変わったわけです。これはよほどわれわれが味わうべきことやと思うんです。どう変わったかというと、彼はやはりトップになると、叱ってくれる人がいないわけですね。誰も言うてくれないです。誰も言うてくれないから、彼は自然に大衆から離れていったわけですよ。大衆から離れると言うとおかしいが、まあ、孤独に陥ったわけですね、だんだん。今までは友達だったやつがみんな家来になっちゃった。意見するものもなくなっちゃった。そこから秀吉のものの考え方が片寄ってくる。どう片寄ったかというと、やっぱりそこに私見というもの、私の見方ですね、そういう自己中心にものを見にいくというようなことがおこってまいりまして、ついには朝鮮まで兵隊を送りましたね。ところが朝鮮に兵隊を送った時には、これは自分の単なる意欲で、私はあれやったもんだと思うんです。みごと失敗ですわ。

 

 これとよう似てんのは、ナポレオンですわ。ナポレオンも秀吉と同じような経過をたどって皇帝になりましたが、これまたロシアまで遠征してますわ。ちょうど秀吉と同じです。行き方みな一緒です。この天下の非常に英雄と目されるような人でありましても、自分が最高のトップになりますると、そういうあやまちをしでかす。要するに〝この程度で〟ということがわからんと、〝俺の力をもってすれば〟という気になってくるわけですね。誰かこわい人があると一喝される。「そんなバカなことするな、やめとけ」とこう言われる人が誰もない、最高やから。

 

 そういうようなことから考えて、みずから意見番をつくるということです。自分んがトップだから誰も意見しよらん。そうすると人間の浅ましさが出る。名誉欲というか権勢欲というかそういうものが出てくる。だから、これをば自分で規制せないかん。そのためには自分の独力で規制する人は結構でありますが、なかなかそういう人はない。だから宗教の教えを求めるとか、あるいは意見番の教えを求めるとか、あるいは昔、支那であれば帝王学というものをやる。帝王学には最高主権者はこういうことをやらないかん(という教えがあります)。私は今、帝王学というものが、非常に地に落ちてると思うんです。

 

 そういうようなことで、トップにたつという者は、トップにたった瞬間から失敗街道がパッと開ける、早く言うとですよ。失敗街道が開けるけれども、さらに安定の道も開ける。どっち行くかということは、彼が帝王学をやるか、みずからの帝王学をつくるか、誰かに教えを乞うか、意見番を求めるかすることによって、失敗の街道に入らんと安定の街道に入るんだと私は思うんです。

 

(昭和36.10.27)

 

 自分に率直に意見してくれる人がいなくれも、なお正しい道を歩むにはどうすればいいか、それに答えてくれるものの一つが、いわゆる帝王学だというわけです。

 頂点に立つ人は、帝王学に基づいてお互い人間のもつ弱さを冷静に見つめ、権力の濫用をつつしむようきびしく自戒することが大切ということでしょう。

 

第88話 千の悩みも

 

 千の悩みも一つの悩みも、私は悩みは一つやと思うんであります。千の悩みをもっているからつらいということやなしに、悩みはつねに一つやと思うんであります。というのはですね、ここに一つのちょっとしたできもんができる。そのできもんが非常に気になる。けれども、今度お腹の一部に大きなできもんができるとなると、この小さいできもんはもう忘れてしまいます。こんどはこの方にかかる。そういうようにですね、悩みというものは私は一つに集結すべきもんだ、百の悩みをもっておっても、結局悩むのは一つである、一番大きなものに悩みをもつ、そういうようなもんだと思うんです。

 

 私は今までの経験で、いろいろのことがありました。五つも六つも問題がおこったことがあります。しかし、一つの悩みも十の悩みも結論は一緒やな、ということを私は感づいたんです。結局、一番大きな悩みに取り組むということによって、他のものはみ第二、第三になってしまう。二十も三十も悩みがあってはもうとうていやっていけない。やっていけないけれども、結局人間というものは、一番最大の悩みだけしか悩まない。あとは解消するわけやないが、それにはあまり心配ないというようなもんです。そこにやはり生きる道というものが、私は生まれてくると思うんです。

 

 また、一つの悩みをもつということは、非常に大事やと思うんです。何か気にかかる一つというものがなくなっちゃならんと思うんです。それがあるために、大きなあやまちがないと思うんであります。何にも悩みなくして、喜びのままにやっていくということは、これは人生じゃありません。それは夢のようなもんであるというようなことも考えて、私は自分で自分を慰めてきたこともございます。

 

 今後、私はみなさんの上に、一つや二つやなし、十、二十というように考えられるところの困難な問題が出てくると思うんです。しかし、断固としてやろうという精神によりまして、そういう悩みというものは、結局一つに縮まってしまう。その一つだけがどうしてもこれは払うことができない。それと取り組んでいくというところに、私は人生の生きがいというものがあるのではないかという感じがいたします。それに勇気をもち、それに生きがいを感じたならば、人生決して洋々たるもんであって心配ないというような感じがいたします。

 

(昭和36.11.27)

 

 いくつもの問題が同時に発生し、さまざまな悩みが生じてきても、その中の一番大きな悩みに取り組むことによって、他のものは第二、第三のものになってしまう。だから、百の悩み、千の悩みがあっても、結局は一つだけ悩めばいい。そう考えて勇気をもって取り組んでいけば、そこに生きる道が洋々とひらけてくる、というのです。それは、これまで多くの悩みを味わい解決してきた松下幸之助氏の、いわば体験的悩み対処法とも言えるのではないでしょうか。


第87話 愚痴の聞き役を

 

 昔、石田三成という武将がありましたな。太閤秀吉に仕えて出世して、そしてその太閤さんの気に入って、太閤さんが天下をとった後は、五奉行の一人となって行政をつかさどった人でありますが、その石田三成がなぜあんだけ出世したんかということを、この間フッと考えたんです。

 

 そうすると、太閤さんは偉い人であったことはもう今さら言うまでもないんでありますが、まあ早く言えば、太閤さんといえども、私は大いに自分の怒りなり愚痴なり、こういうものはたくさんもっておったと思うんですね。それをば訴えたい、しゃくにさわってしゃあないんやと言うて話したいというても、話できない。それが積もり積もって、神経衰弱になるというようなこともあるかわからんです。けれども、太閤さんは神経衰弱やなくして反対の方の陽気な人であったということは、その愚痴をですな、三成に訴えた。三成だけがよくそれを聞いてあげた。「わかります」「承知しました」「それはこうですよ」と、いわば愚痴を訴えられた。

 

 みなさんでもですね、部下をたくさんおもちになっていると思うが、部下のうちにですな、誰か一人、自分の悩みを訴えられる人があるかどうか。あれば非常に私はみなさんがお楽になると思うんです、精神的に。けれども、幸いよく働く人がたくさんあっても、自分の悩みを訴える部下がなかったらね、これは疲れますよ、ほんとうは。だから、自分の働きが鈍っているということもあるわけですね。

 

 ところがそういう部下があったならば、私はその社長でも、また部長でも、課長さんでも、十分なその人のもてる力全部を生かすことができるということになる(と思うんです)。うちへ帰って奥さんに愚痴を言う人もありますけれども、奥さんに愚痴を言うことも、それはストレスの解消になりますけども、そこまで行くと具合悪い。やはりもう自分の直接の部下にすべてを訴える、そういう人があればね、これは非常に楽やと思いますな。しかしそやないと、疲れてくる、いい知恵も出ないというようなことになって、いらん怪我もせんならんというようなことになると思うんですね。

 

 だから、その人がいい働きをするせんは別として、愚痴を訴えられる人、愚痴を聞いてくれる人、そういう部下があれば、これはもう非常に助かると思いますな。私はそういう意味において、三成は太閤をして太閤なさしめたということは、太閤さんがもっている愚痴をですね、全部彼は吸収して「わかりました」「心配しなさんな」「やりなさい」というようなことを、適当に言うた人やと思うんです。

 

 そういうことがですね、みなさんが今後責任者として、いろんな仕事をしていく上において、そういう部下、そういう話し相手というものができるかできんかという問題、これは一つは運命でしょう。一つは運命でしょうけども、そういう人ができる運命をもっているということが非常に大事であると、かように私は思うんです。そうするとでんな、三倍も四倍も働けると思うんです。

 

(昭和51.12.7)

 

 日々の経営を進める中で生じてくる愚痴なり憤りなりを訴えることのできる人を、自分の部下の中に一人でももつことができれば、精神的な疲れもやわらぎ、またいい知恵もわくようになる、と言うのです。

 

 松下幸之助氏によれば、経営者がそうした人をもち得るかどうかは、結局は運命だというのですが、経営者としては、つねにそのような人を求める努力が、やはり大切なのではないでしょうか。


第86話 上には上がある

 

 日本の古いことばでありますが、実るほど頭が低くなってくる稲穂かな、という古語がありますが、結局人間はだんだんと修行を積み、いろんなことを体験積んでくるとですね、だんだんものの偉大さと言いますか、言いかえますと世の中の恐ろしさと申しますか、そういうものがわかってくるんだ。一知半解の徒というものは、なかなか一面だけ見て全面を見ることができないから、自分の都合のいいような解釈をして、ものを判断しようとする。しかし修業を積んでくると、だんだんと世の中というものの偉大さがわかってくる、恐ろしさがわかってくる。

 

 剣術のならいかけでも、少し習ってうまくなってくると、誰でも彼でも自分より弱く見える。太刀さえとれば自分が勝つように思う。しかしその域を脱すると、自分も相当まあ修業できたかもしれないけれども、しかし上には上がある。わしよりも上の人がたくさんあるということがわかってくるから、そこではじめて自分がどういう立場、どういう態度でおらなならんかということもわかってくる。

 

 そうなってくると、自分より偉いものがたくさんあるということがわかるから、その偉い人たちの考え方を、やはり手本にするという心持ちに自然なってくる。だから、あの人の流儀を取ろう、この人の流儀を取ろうというふうにしてだんだん修業するから、やがて自分は知らずしらず名人の域にも達するというふうになる。また一流を編み出すというようなことにもなるわけである。そうでないとですね、簡単に真剣勝負でもして切り殺されてしまうというようなことになって、失敗するという剣道の士も、たくさん過去の歴史に、物語に書かれているわけであります。

 

 これは剣道だけらなくして、すべての人生について私は、芸能は芸能においても、仕事は仕事の上においても、技術は技術の上においても、商売は商売の上でも、外交は外交の上においても、全部やはり自分の修業が中心としてだんだん向上していくが、向上したからというて世間を見てみれば、まだまだもっと上手な人がたくさんあるというようになってくると、最前のことばでありますが、やはり世間の広さ、世間の恐ろしさということがわかるから頭が下がってくる。偉いい人ほど世の中がよくわかるから、世の偉大さというものがわかるから謙虚な心持になってくる。一知半解やと、自分ほど偉いものないというようになって、ふるまうようになる、という意味のことだろうと思うんでありますが、これは確かに私は、人間の本質というものが変わらない以上は、永遠にそういうようなことがついてくる。したがって永遠にそういう教えと申しますか、そういうものの考え方、修業というものは非常に大事であると、こう私は思うんです。

 

(昭和33.6.18)

 

 経営者としての経験を積めば積むほど、経営というものの幅の広さ、奥行きの深さがわかってきて、さらによりよき経営を求めるようになる。その意味においては、経営には、もうこれでいいという境地はあり得ないということでしょう。

 

第85話 商売は真剣勝負

 私は、これは今まで小売屋さんにも、また問屋さんにも言うてきたんですが、商売というもいのは、ほんとうに真剣勝負してるんです、ほんとうはね。冗談にしてんのやないんです。遊びなら遊びでええけどもね、商売は真剣なんです。人のために、自分のために真剣にやるんだから、真剣勝負だと思うんですね、早く言えば。

 だから真剣勝負でつまり商売している以上は、つねに勝利を得なけりゃならん。真剣勝負であれば、チャリンと音すれば、必ず一方は傷ついているわけですよ、ほんとうは。それと一緒やと思うんです。商売というものは真剣勝負なんだから、得する時もあれば損する時もあるというようなことはね、許されない。それはなぜかというと、真剣勝負で勝つ時もあれば負ける時もあるということと一緒やと思うんですね。勝つ時はいいけども、負けた時は首ない時や、それと一緒やと思うんです。
 
 そうすると商売というものは、うまくいかないということはあり得ないんだ。ある場合には損したり、ある場合には損しないということは真剣味が足りないんだ、ということを私はずっと言うてきてるんです。また自分自身でも、おまえは失敗するようなことは、真剣味が足らんから失敗するんだ。だから一年の成果は必ず上がるに違いない。次の一年はさらにそれにプラスするものが上がるに違いない。それが商売のつまり要するに道やから、それが、ある年は儲かる、ある年は儲からんということは、真剣勝負である時は勝ち、ある時は負けるということを連続しているのと一緒や。そんなことは真剣勝負やない。真剣勝負というのは一ぺんチャリンとやって、負けたらもうしまいや。商売やからまた儲かる時もあるし、儲からん時もあるというようなことを言うけどね、これはぼくはもう否定するんだ、そんなことはね。だから商売するからには必ず成果が上がるというようにやらなけりゃいけない。またそういうものだと、商売というものは。

 一円で買うたものを九十銭に売るということは誰も要求してないんです。実際はね。一円で買うたものは一円二十銭で売るということをみんな承知してくれるんだ、お得意先がね。「もっとまけ、もっとまけ」と言うて値切る場合があります。「そう言うんなら仕方ないから、それじゃまあ九十銭にしましょか」と言うて、一円のものを九十銭にしてもですね、買う人は儲けてると思うとるんです、早く言えば。多少は安うしよったか、と思うか知らんけども、必ず儲けてると思うとるんです。損してると思うてしません。だからなんぼ値切っても、多少でも儲けさすということをみな承知しとるわけです。

 そういうように考えるとですね、商売というものは絶対損しないもんである。商売すればするほど儲かる。損は絶対あり得ない。これが商売の常道である。それがそうでないというのは、どこかその人の商売観というものが、まちがったところがあるんだということを、十分にお互いが承知して、そのことを相手に訴えないかんと思うんですね。そういう訴えをすると、その小売屋さんなり問屋さんが「えらいこと言いよるなあ」とこう言いますけど、やっぱり知らずしらずに「なるほど、そうやなあ」ということになってきて、非常にその信念ができてくるんですね。そうするとそれが小売屋さんに響く。商売というものは何も遠慮したりするもんやない。商売というものは正しいことであり、当然一定の手数料をもらうことがあたり前の話なんだ、それをしないのがまちがっているんだということになってくると、その問屋を中心としたその小売屋さんの一団というものは、みな繁盛するわけですね、早く言えば、というようなことを私は体験してきましたがね。

(昭和37.5.10)

 真剣勝負においては、一たび負ければたちまちにして首が飛ぶ。勝ったり負けたりということはあり得ない。商売においても同じことで、儲ける時もあれば損する時もあるなど悠長に構えていることは許されないというのです。

 その意味で商売、事業には、損は絶対にあり得ないのが本来の姿というわけですが、いかがでしょうか。

第84話 公憤をもっているか

 先般、ドイツの首相のアデナウワーという人がですね、アイゼンハワー大統領に会うた時に、これはだいぶ昔の話でありますが、これは二人とも今はもう死んでおりませんが、アナデナウワーという人の方が年上である。で、その人がアイゼンハワー大統領にどういうこと言うたかというと、「きみね、七十にならんことには人生語れんな」とこう言うた。二番目に言うたことは何かというと、「なんぼわれわれは年いっても、分に応じた働きをもたないかんな」と言うたんです。この二つはね、話聞いても私わかるような気がするんです。

 しかしもう一つ言うたんです。三つ目に何言うたかというと、「怒りを忘れてはならんぞ」とこう言うたんです。この怒りとは大統領としての怒りでしょう。首相としての怒りでしょう。そういう怒りをもたない首相、そういう怒りをもたない大統領というものは何もできないぞ、ということを言うたんだろうと私は思うんであります。日本の歴代の首相は、そういう意味において怒りをもっておったでしょうか。私は怒りを忘れておるのやないかという感じがいたします。
 会社にいたしましても、うちの社長はお人好しや、非常にまあ、ものごとがわかったいい人だというだけでは決して会社はうまくいきません。うちの社長は非常にものわかりがいい、お人好しである。しかし怒ったらこわいぞ、という特徴があってピタッとうまくいくんですね、実際は。けれども私の怒りは絶対に許されない。  しかし大統領として公の怒りをもたないような大統領は、首相として公の怒りをもたないような首相は、国民をして腑抜けにしてしまうというようなことになりはしないかという感じがするんであります。そういう意味におきまして、指導者は大いに部下を愛護することはよろしい。また人間として敬意を表することもよろしい。人権を尊重するということは大事なことやと思います。しかし先輩として指導すべきものがあれば、敢然として指導するというふうなことがなくては、私はいい意味の指導者になれない、かように思いますし、また後輩としても困ると思うんであります。会社でも部長がしっかりしている。それは必ず一面に怒りをもっております。それは個人の怒りやない、部長として、こういうことでは困るという怒りをもっています。そうすると一方で部下をかわいがる、一方でこんなことはしては困るという怒りをもっていると、部下はみな信頼して働きます。  これは国といい、市といい、町といい、一家といい、みな一緒だと思うんであります。 (昭和44.11.10)  私情から発する怒りではなく、経営者として、これは許されないことだといった公の怒りをもたなければならないというのです。  一方で従業員に対する思いやりをもちつつ、他方で全体のために適時適切な公憤をもつ。そうした経営者のもとには従業員の信頼が集まり事業は発展するというわけですが、お互いに、日々どれほどの公憤を抱いているでしょうか。

第83話 自分は適材か

 

 私は今日、この会社の経営者の一人として、〝自分が適任であるかどうか〟ということを自問自答せないかんということを考えております。今度再び、暫時の間であっても、営業本部長を代行して販売を担当しようという時に、今日自分が適材であるかどうかということを私は検討してみたんです。もし私にかわって適材である人があれば、あえて私が乗り出す必要はないと私は思うんです。今一番必要な販売面の改善に、自分がなお適材であるかどうかということを考えてみて、適材であると、こういうように一応考えたから、あえて世間の批判を振り切って、なすべきことをなすということで自分はやってきたんです。

 

 これは非常に大事である。みなさんが、自分が事業部長として適材であるかどうかということを、私はこの際に検討してもらいたい。そして確信あればそれでよろしい。もし確信に動揺あれば、私に訴えてもらいたい。「自分はこういう点に不安があるんだ」そしたら、その不安を私は除いてさしあげることができるかどうか。「いや、きみはそういうところに不安があるということは結構だ。それは非常に大事なことや。だからその不安をきみはよく忘れんように、その問題に対しては人の意見をどうか用いてもらいたい、そしてやってもらいたい。さすればその不安は除けるだろう。またあやまちも除けるだろう。そうすると、かろうじて私はやっていけるだろうと思う」ということも言うてさしあげる。全部が全部不安で自信がなければ、他に適材というものとかえないかん。これが、非常に正しい私は行動だと思うんです。そういうようにやらねばならない。今、状態にさしせまっていると私は思うんです。情勢は刻々動きつつある、転換しつつあると思うんです。みんなが顧みて、〝自分はこの仕事にあるが最も適材であるかどうか、また確信があるかどうか〟ということを自問自答してみる。

 

 私は完全無欠な人はこの世に存在していないと思います。神さまでない限り完全無欠という人はありません。せいぜい八十%の点数をつければだいたい上等やと思います。あとの二十%は落第点である、できないんである。その二十%は、しかしやらなくちゃならん。それは他の援助によって補うていく。そのために社長に相談するものは社長に相談する。また私はこのごろ会社に来ているから、私に相談するものはどんどん相談する。そして自分の足りない二十%を補うというようにしてもらわなきゃならない。またお互いにそういうことをやらないかん。それが誠意というもんだと思うんです。それが私は真心だと思うんです。そういうところに正しい勤務態勢というものがあるんやないかという感じがするんであります。それをなくしてですね、「自分は八十%だからまあいい、だからもうあとの二十%というものは、そんなん問題にせなんでもいい」と言うて、欲しいがままにやるというようなことは、わずか二十%の点から大きな欠陥が出てくるということであります。最善の姿やないと私は思うんです。

 

 そういうことをよく考えてやっていただいたならば、私はどの方がたも、だいたい私は無難にやっていけるんやないか、そして不良も下がっていくし、販売もまた強固になってくると思うんであります。そういう反省というものを日々これやらないかんと思うんです。

 

(昭和39.9.28)

 

 この世に完全無欠な人間はいないということを前提としつつも、経営者としてたつ限りは、他人の援助協力をも求めて、その役割を完全に果たすよう努めなければならない。それが経営者としての誠意であり真心ではないかと言うのです。そして、そうした誠意、真心を尽くすためには、つねに自分は適材かという自問自答が大切だというわけです。

 

第82話 みずからを知る

 

 自分は自己認識をして、そしてそのあやまちなきを期してきた。こういうように、私自分で考えているんです。自己認識をせざる人は、あやまちをおかす場合が多くなります。自分の力を低く見すぎても仕事はできません。自分の力をば誇大に見たならば失敗をいたします。そういうところが非常に大事やと思うんです。みなさんはこれから幾多の仕事をなされる。一年ごとにどういうような変化があるかわからない。しかしその場合でもですね、みなさんは、みなさん自身というものを採点していかなきゃいかんと思うんです。〝今の自分は五十点の力がある〟ということを自分で考えることができるかどうか。それが正当にできたならば、非常に私はおもしろいと思うんですね。

 

 そうでありますから、百の力があったならば九十八点の力出したかて絶対にまちがいありません。しかし九十点の力しかないのに、九十五点の力だして仕事をしたならば、これは失敗します。そういうとこで、自己観照ということが非常に大事やないかという感じするんであります。戦争でも敵に勝とうと思えば、おのれを知り、敵を知らなければ勝てないということを言うています。敵を知るだけではまだいけない。敵を知り、自分を知る。そしてはじめて戦争をするかしないか決定する。そして戦争したら勝てるだろうとこういうんです。

 

 そういうことを、つねに検討するという習性をつけとかないかんと思うんですね。むずかしいと言えば、むずかしいんでありますが、しかしむずかしくないと言えば、むずかしくないと思うんであります。自分のことでありますから、謙虚に自分というものを考えてみたら、〝彼氏よりぼくの方がちょっと劣っているなあ〟と考えれば、〝彼についていこう、彼の指導を受けよう、それが一番好もしい状態である。そしてそこに力の輪が生まれてくるからともにいい〟と、こういうことになると思うんです。彼より自分の方が力があると考えれば、「きみ、ぼくに手伝うてくれよ。そうするとぼくも仕事できるし、きみもええで」とこういうことですね。それは自由であっていいと思うんですね。そういうような素質に生まれているということと、ある一定期間努力したということとを重ねて生まれるところの力というものは、決まっていくわけです。その行使をどうするかというと、まあそういうふうにやればええと思うんですね。

 

 しかしそういう力が彼の方が上やと思うても、〝なんとかして彼の上になってみたいな〟というところから波瀾がおこってくる。これは国と国やったら戦争になる、ということだとおもうんですね。そういうことは絶対にしてはいけない。そういうことが、非常に大事なことやないかということを私、自分はつねに考えております。

 

 それは個人でもそうでありますが、会社というものも考えてみます。わが会社は今どのぐらいの力があるか。このぐらいの力がある。さすれば世間もこういうことを望んでんのやから、こういう仕事してもやれるだろう、としてやります。しかしわが会社は、今、手いっぱいである、これ以上力がない、さすれば、むしろ一つの仕事を少なくする、ということに努力すべきやと思うんであります。

 

(昭和44.9.1)

 

 自分の、そしてまた企業のもつ力を、経営者みずから適性に評価するいわゆる自己観照というものができてこそ、個人も企業も、その力に応じた失敗のない道を歩むことができるというのです。

 

 しかし自分自身への評価には、とかく自分に都合のいい解釈が加わりがちです。したがってそこに謙虚でとらわれのない態度が、反省の要諦として求められるということでしょう。

 


第81話 つまずきの原因は

 

 考えてみますとですね、会社がうまく発展しない。いろいろまあ原因がそれはありますが、その原因は、真の原因にあらずして、それは自己反省の足らないところに、また自己反省して、そこから何を考えねばならんということの適切なことを考え出せないところに、そういうものがおこってきているということを、この際みなさんに申しあげて、みなさんご自身の仕事のお立場においても、そういうようにお考え願いたいと思うんです。

 

 とかく、われわれは、ともすれば自分の都合のいいような解釈をしたがるもんであります。〝ああいうことは予期しなかったことであって、こいつは今はもう自分も仕方がなかった〟というようなことを考えて、自己慰安をするもんであります。一面にそういうことも、それは必要でありますから、そのことが全面的に私はいかんと申しません。またそれは一つの慰安になり、またそこに勇気が出ることになって、再活躍するというきっかけにもなっていくわけでありますから、そういう慰めのことばをみずからつくり、また他にそういうことばも与え、お互いそういうことをかわして、そしてその悩みを慰安して、新規な気分になって、また仕事と取り組むということも必要でありますが、それだけではいけない。そういうことを深く反省し、気ィつくか、つかないかということは、スムーズに発展するか、スムーズに発展しないかということになっていくんじゃないか、とこう思うんです。

 

 そういうように考えまして、われわれは今、今日のこの段階にたってなすべきことをなさねばならない、考え直さねばならんことを考え直さねばならんと、実は欲しているわけでありまして、みなさんにも私はそういうようにお願いしたい。絶対に事業というもの、仕事というものは、つまずくということはあり得ない。つまずくということは、それにふさわしい用意周到といいますか、時々刻々の反省と用意周到というものに欠くるところがあるからですね、そういうことがおこってくるんだということを、はっきりとこの際自覚して、そうしてやってもらいたい。

 

 そうすれば、失敗というものが半減すると思うんです。絶対に失敗しないということはあり得ないと思いますが、非常に半減する。三べんスカタンするところは一ぺんですむ、ということになろうと思うんです。それなくしてはいかなる偉い人といえども、私はそれはそうできるもんやない、そう瞬間瞬間に神のような知恵がわくもんでないと思うんです。やはりそれだけの準備周到にして、ものを深く堀り下げて考えて、そして自分はこう思うが、なお多くの人はどう考えているか。全部対者があるんでありますから、無人島で一人仕事するんじゃありませんから、自分はこう考えるが、自分の考えが人に受け入れられるかどうかということを考えて、そして再三再四、自分の考えがあやまちないか、足らざるものがないかということを、繰り返してやらないかんですね。

 

 そういう点に熱意を欠いたならば、そういう点に努力を欠いたならばです、私はものごとというものは、行きづまりがちになるとこう思うんであります。

 

(昭和34.10.28)

 

 事業なり、仕事というものには、本来つまずきというものはあり得ない。つまずきが生ずるのは事前の周到な準備なり、刻々の適正な反省に足らざるところがあるからだ。経営者はそのような自覚にたって事にあたるべきだと言うのです。そうすれば、日々の仕事における失敗というものは、絶無にはできないまでも、半分あるいは三分の一に減らすことができるだろう、と言うのですが、いかがでしょうか。

 


第80話 不況に伸びる会社

 

 この前(昭和)三十二年も変調期に際しまして、竹中工務店の何か催しがあったと思うんでありますが、私もその席に呼ばれまして、現会長の竹中藤右衛門さんにお会いしたんであります。その時私はふと、「竹中さん、非常に不景気になってきたから、ますますあなたの方はお忙しいですね」とこういう話をしたんです。そうすると竹中さんは、もう時すでに八十歳近い方でありましたが、私の手をギュッと握りまして、「松下さん、それをおわかりくださいますか」と、こういうような話をしたのであります。「いや、私はどうもあなたのお会社のつね日ごろの仕事ぶりを見ていると、こういうような不景気に直面すれば、あなたの方が非常に仕事が増大していく、仕事が伸びていくというように私は思うので、ふともらしたんであります」ということを言うたんであります。それで確かに竹中氏もそう考えておったとみえまして、私の手を取って、それを知ってもらったということに対しまして、非常に感激をおぼえられたんであります。まあ竹中藤右衛門さんの心境ではですね、日ごろ一生懸命に社員を陶治し、またお客、需要者を大事にして努力を重ねてきた。その努力を重ねてきたことのほんとうの価値があらわれるのはこの時だという内々の期待をしておったと私は思うんであります。それが、たまたま私がそういうことを言うたんで、わが意を得たとでも申しまするか、非常に感激されたのであります。果たせるかな、その当時からも、私は竹中さんの仕事はさらに躍進したもんだと思うんです。これはお互い、この事業をやる者といたしましてよく考えておかんならんことは、多忙な時は、これは少々の不勉強でありましても、またサービスが不十分でありましても、品物が足りない。だから注文しなくちゃならんから、まあどこでも注文してくれるというわけです。だから、経営の良否ということはそう吟味されなくて事がすむんであります。ところが不景気になってまいりますると、買う方は非常に強くなると申しまするか、十分に吟味して買う余裕ができてくるわけであります。そこで商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されまして、そして事が決せられるということになるわけであります。

 

 そうでありますから、非常にいい経営をもっておるところ、またいい経営のもとにいい人が育っておる店は、景気にはもちろん結構でありますが、不景気にはさらに伸びるということであります。そういう店は景気によし、不景気にさらに伸びるということになろうかと思うんであります。これは日ごろ終始一貫して、経営そのものに勉強しておった賜物だと考えていいと思うんであります。

 

(昭和36.10.23)

 

 竹中藤右衛門氏と松下幸之助氏との会話は、好況、不況にかかわらず、経営者としてなすべき努力を着実に重ねている者同士にしてはじめて通じるもの、と言えるのではないでしょうか。

 

 不況に直面して、これに積極的に対処し、腹を据えてその克服に全力を尽くすことはもとより大切なことです。しかしその前提となるのは、やはり好況時に、商売、事業の本道に徹してゆるぎのない経営基盤の確立に努めること。そうしてこそ好況は好況として、不況は不況としてそれぞれに生かすことができるということでしょう。そのような意味からすれば、不況克服の心得というものは、経営者としての日ごろの心得そのものにほかならないとも言えるのではないでしょうか。

 

第79話 治に居て乱を忘れず

 

 昔からのことばに〝治に居て乱を忘れず〟ということがあります。〝治に居て乱を忘れず〟ということは、これは私が言わなくてもみなさんがお知りになっておられると思うんです。平和は十年続いてまことに天下泰平というて、それに酔ってはならんということであります。いつどういうことがおこってくるかわからんから、一方で平和を楽しみ、そうして人生をば楽しんでいくことはよろしいが、そういうような形の中にいつ風が吹いてきても、それに対処するという心がまえというものはキチッと養いもっておらなならん、ということを教えたもんだと思うんです。

 

 しかし、とかく人間というものは、十年平和は続く、十年安泰が続くと治に居て乱を忘れるという傾きになります。言いかえますと、非常に内部に脆弱性というものがかもされてくるんであります。つねに荒波に対している、つねに乱に直面していると、それはそういうようにならないんであります。たえず心がまえというものは緊張しています。しかし、これは一面にいいが、一面にそれは決していいことじゃありません。そうつねに乱ばかりに対するような姿は人生の望みではありません。目的ではありません。やはり泰平にして平和な生活を楽しむということが、われわれの欲するところであります。しかし、だからといってそういうことに慣れますと、人間というものはとかくその平和に酔いしれてしまうという傾きがございます。

 

 長年天下をとっておった平家は、富士川において水鳥の音でみずから敗走して去ったというあの姿は、治に居て乱を知らなかったという姿の一つのあらわれだと思うんです。遠い平家の昔を思わなくても今日の時代に、われわれはそういう轍をふんでおることがありはしないかどうか。この前の戦争の時でも、私はそうだと思うんです。この前の戦争がなぜおこったということを考えてみてもですね、勝利に酔うておったところに、ああいう大失敗を招いたんだろうと思うんです。勝利に酔うことなく、勝利したならばさらに大きな謙虚をもって、そしてみずから道に処していくというようなことをしておったならば、ああいう無謀な戦争というものはおこらなかったんです。

あれは治に居て乱を忘れた姿からおこった戦争だと私は思うんであります。

 

 そういうことを考えてみましても、われわれは平和に酔うたりしてますと、サービスすることを忘れ、感謝することを忘れ、そして世の中というものはバカに見えてきて、自分が偉くなったような感じに陥りやすいんであります。これは国におきましてもそうだと思います。会社におきましてもそうだと思うんです。また個人個人におきましても、私はそういうようになるんだろうと思うんであります。そこで心ある人はですね、つねにみずからを戒めまして、あやまちなきを期する。言いかえますと、治に居て乱を忘れず、治に居ることの感謝をして、そしてさらに努めることをおぼえるということにしなくちゃならんかと思うんです。

 

(昭和39.7.24)

 

 富士川の合戦で、水鳥の羽音に驚いて敗走した平家の軍勢の姿は、まさに治に居て乱を忘れていたことによるもの。事業経営においても好況の際にその発展に酔うことなく、治に居ることへの感謝の上に、なすべき備えを怠りなく進めていくことが大切で、そこにこそ不況に対する何よりも力強い対処の道がある、というわけです。


第78話 戦の中での商売よりも

 

 きょうの商売をどうするかという問題については、私は心配いらないと思うんです。それは、景気不景気の大きな転換期の一コマである考えていいと思うんです。これはね、ちょっと誤解があってもいかんと思うんですが、〝戦乱のちまた〟ということばがありますが、洋の東西を問わず戦乱のちまたで、そういう流れ玉に当たって死ぬかもわからない、そういう危険な状態のなかにあっても昔の商人という人びとは、経済人という人びとは立派にその戦乱のちまたにあって商売してるんです。味方の権力者にも品物を売る。また他国の政権にも物を売る。そういうことを日本に限らずどこの国でもやっているんですね。

 

 今日は、流れ玉に当たるというような危険は今のところまあない。そして売る相手は戦争の相手やない。そうでありますから、そういう戦乱のちまたにあって、なおかつ商売を維持してきた東西ともの先人の人びとのことを考えると、きわめて安易な情勢やないかと思うんです。私はこれをある本を読んでいる時にね、感じたんですが、昔の事業家というものは、信長にも信玄にも鉄砲を買いに来れば売る、毛利にも売るということをやっています。これは堺の商売人の冥利である。敵味方にこだわって売る売らんというようなことを考える必要ない。われわれはどっちも買うてくださればお客さんであるというようにして売ってきている。

 

 そういうようなことは、一人日本の堺の町人だけやない。それは西洋諸国のつまり実業家はみなやっている。そういうような時勢というものを考えてみますると、今の日本というものは国難であるとか、経済危機であるとか言うてますけども、しかし戦乱のちまたにあって商売することを思うたら非常に楽である。そうでありますから、〝こういう時は人を育てるというにも絶好の機会であるし、なかなか商売むずかしいからしっかり勉強しようやないか〟〝この時はいい考えが浮かぶかもわからんからやろうやないか〟ということで、十分に体質もまた人材の養成もできると思うんです。

 

 そうでありますから見方によれば、われわれ商売人として、経済人としては絶好の機会である。絶好の機会であるからこの機会を生かさなならんということに考えをたてまして、そして商売をもう一ぺん見直すとすれば、こういうこともせんならん、ああいうこともせんならんというようなことが随所にあると思うんです。みなさんのお会社をたて直すということの必要性というものは、随所にころがっている。非常にうまくやっているということを人も言い、ご自身もお考えになっている。けれども見方を変えれば、まだまだこういうおかしなことしてる。こういう点に欠陥がたくさんあるじゃありませんかということがたくさんあると思うんです。それをば直していくことによって、この難関は楽々と切り抜けることができる、ということが一応私自身で考えているわけです。

 

(昭和49.7.22)

 

 戦乱のちまたにあって、堺の商人たちが文字どおり体を張り、命をかけて商人道に徹していたことを思えば、たとえ不況があっても今日の経営者はまだ恵まれている。そういう観点にたって自分の商売、事業を見直してみれば、心が大きくなり勇気もわいて、難関を切り抜ける道を随所に見出すことができるのではないか、というわけです。

 

第77話 経営者の信念こそ

 

 日ごろの経営の心がまえがね、諸君とともにやっているんだという考えがありますから、ぼくは。そうですからいよいよいかん時にはね、「わしも金を出すけれども諸君も金を出せ、そうして金をつくろうやないか」ということを最後には話しよう、そうしてでもやっていこうという感じをもちますな。

 

 そやから銀行が金を貸さなんでもなにも心配ない。従業員が千人おれば、一人ずつ一万円であれば一千万円できるんや、二万円ずつやったら二千万円できる。そのぐらいの考えをつねにもってないかんということですな。

 

 つまり私は、今、松下電器にかりに五万人おるとすれば、いざという場合には、十万円ずつでも、みなから金出させば、あんたその五十億円できますわな。そんなこと言うたら、もう誰も出さんかわからんけども、出すもんだという考えをもっているんですよ。そういう考えをもってるわけですわ。経営者にそういう信念なかったらだめですな。

 

 労働組合に貯金がある。百億円もっとる。〝その百億円貸してくれ。しかも利子は無利子やぞ、三年間〟そのぐらいのことが、発表できるか。そんなことできないと考えるか、できるもんだという考えもつか。ぼくはできるという考えをもっておる方ですわ。

 

 問題はそこですな。やっぱり経営者の信念ですな。世の中のためにやってるんやから、諸君もそのくらいのことは片棒かつぐべきや。平生は賃上げとか何とか文句言うてるやないか。こういう時には、奉仕せないかんやないか。そういう考え方を、労働組合に訴えられるんであるかどうか。ぼくはやってみようと、そういう考えをもっているんです、今でもね。幸いにしてそこまでいってないけど。だからやっぱり、ぼくは経営者の信念というものは非常に大事やと、そういうことですな。

 

 そうですから私は、こういうまあ混乱した時代に、経済界の、早く言えば動乱時代やからね、志ある経営者は非常におもしろい時代やということになるんやないか。非常に興味をもってこの経済界を見ていくということが大事である。この不景気におびえて、どうしたらいいかということを人に聞くよりはよろしいけれども、やはり自分は自分ではっきりと自己認識をやらないかん。そうして、衆知を世に求めていくということがいいと思いますな。そういうものをもたなかったら、どんな場合でも私、具合悪いと思うんですな。それで今一番経営者の経営信念を問われる時やないかと、こういう感じしますな。

 

(昭和51.1.14)

 

 経営者は、不況、非常時に直面していざという時には、労働組合にまで資金の協力を求める。いわばそれほどの強い信念にたつことが大切で、そういう信念をもち得る経営者であってこそ、従業員の信頼も集まり、不況への力強い対応も可能になるというのですが、いかがでしょうか。


第76話 腹を決めて臨む

 

 昭和50年秋、第一次オイルショック後の不況が相当深刻の度を加えつつあった頃、松下幸之助氏は不況に臨む経営者の基本的な心がまえについて、次のような話をしています。

 

 私どもの会社は多少蓄積しておりましたから、その蓄積の三割ぐらいは食うていこうやないか、食うていくうちに、何とかなるだろう。まことにもう非論理的な頼りない話をするようでありますけれども、そうとでも思わんことには救いがないわけです。ほんとうは。もうこれはどうしても損したりできん、必ず多少でも儲けないかんということも、それは考えられますし、またそれはそういうふうにやっていることもありますけれども、しかし、しんどいですな、あんまりそう考えると。

 

 だからね、雨が降れば必ず濡れるんやから、傘をさせばいいもんの、やはりとばっちりがね、傘をさしてもやっぱりかかる。だからね、今もう大暴風雨である、大暴風雨に、ちょっとも濡れんといくというようなそんなうまい方法はない、多少は濡れていこうやないか。こういう腹をくくらな仕方ない、こういうように私は考えてるんです。みなさんはどういうようにお考えになってるか、まあいろいろありましょうけども、ぼくはそういうように考えているんです。そうすると、ちょっとぐらい濡れてもちょっとぐらい損しても、〝ああそうか、まあいいんやないか〟という調子にいけますわな。そうすると、まあ晩のおかずも、あんまりまずいことない、普通の味する、ということになります。

 

 それがね、そういうような腹をくくらんことには、しゃくにさわってしゃあない、見るもの聞くものみなしゃくにさわる、とこうなってまいりますからな、なかなかええ知恵が出せん。そういうように考えてね、度胸を据えて、そしてその全体を見ていくというようにやらないかんということを私は自分に言い聞かしているわけです。そういうことをですね、みなさんがどういうようにお考えになっておられるか、みなさんはみなさんでそれぞれしかるべきお考えになってやっておられるだろうとおもいますけども、今、こんなに国内総赤字という時代はないですね。しかも、政治の面も各政治体は、自治体といわず政府といわずみな赤字である。そうでありますから、どうすることもできないという状態やないかと思うんです。

 

(昭和50.10.8)

 

 雨が降れば傘をさせばいいとは言うものの、風雨が強い場合には、傘をさしてもある程度濡れるのは避けられない。そう覚悟を決めて、とにかくあわてずうろたえないこと。そうでないと出るべき知恵も出ず、かえって深みにはまりかんえないと言うのです。俗に〝貧すれば鈍する〟ということばがありますが、きびしい不況に直面すれば企業もとかくそうした姿に陥りやすいもの。そうならないためには、やはり我慢すべき時には我慢しつつ、腹を決めて臨むことが大切ということでしょう。

 


第75話 時には一服も

 

 私どもも今一つの反動期に直面しておりますが、この反動期は繁忙期と比べましてつらいことは言うまでもありません。楽に売り上げが増えていく時は言うても楽であります。しかし、ともすれば売りが落ちるというような状態、集金ができにくいというような状態は非常に困難であります。困難でありますけども、私どもの今の心境はですね、こういうことは非常に必要なことであった、時に困難な状態に直面することがいかに大事なことである、ということを今知ってきたわけであります。やはり人間もどんなに立派な人でも、十年平安にいきますと、ボケはしませんけども安易感にとらわれてしまいます。そういう安易感にとらわれた時に、何か変調があった時にね、ぽっこりといってしまうという場合がある。

 

 これはまあ非常に大事なことやと思うんでありますが、きょうも私はそういう人に会って話をしたんでありますが、その人は半期ほど前から行きづまりかけて、何とか挽回しようと思うてあせりにあせってるんですね。あせりにあせるたんびにだんだん深みに入っていくわけですね。そうでありますから、もう今日では、にっちもさっちもいかんようになってしまった。もしも半期前に、ちょっと具合悪い時に、まあ人間というものが忙しく働いている時に、一生懸命に働けば体も疲れる。疲れればちょっと一時間体を横になって休める、とまた回復してまた元の体にかえる、と同じことであってですね、われわれは時に暇なと申しますか、不況と申しますか、そういう時はむしろ休養する時である、力を養う時である。その間に改善すべきものは改善する時である。そう考えれば無理にあせって引き合わん注文をもらっていったり、安う売ったりする必要ない。まあ一定期間の間なんぼ損をするということをはじめから見積もって、この不況に今まで儲けた金の一割は損しよう。十年の間に一千万(円)儲けとるのやから、この半期の間に百万円損しよう、あるいは二百万円損しようという気になれば、もういとも安易な考えになると思うんですね。ところが、もう今まで一千万円儲けたけども、それはまあ現金としては残ってないから、つらいと言えばつらい、ということでですね、あせって仕事を落とさんように今までの利益を続けていこうと思うと、今度はつまり深みにはまって、売らんでもいいものを売ってみたり、受けてならんものを受けてみたりして、それでもうにっちもさっちもいかんようになってしまう。これはもう私は過去の五十年の実業界の生活でいやというほど見せつけられてきております。

 

(昭和40.2.6)

 

 経済界全体が不況に直面していれば、恵まれた条件の仕事などそうあるものではありません。ですから、いたずらに右往左往することなく、極端にいえば暇な間は一服して寝ている、というほどに腹を据えることが大切だというのです。

 

 それは言いかえれば、不況に浮き足立っては損害をさらに大きくする。だから、どんな場合にも決してあせることなく冷静に事態に対処することが大事、ということでしょう。

 

第74話 苦労は買ってでも・・・

 

 会社がいつも順風満帆で、順調に発展していくことは、まことに望ましいことである。しかしそういう状態にあると、社員は知らずしらず温室育ちになってしまう。発展の過程には幾多困難があって、その困難におびえずして、喜んでそれを迎えて、そしてそれを切り抜けていくということがしばしばその過程にあって、国なり、会社なりは永遠のもんであると私は思うんであります。そしてその社員はつねに筋金が入っていると思うんです。

 

 だから、いつも順調にいっている会社というものは、むしろ私は不幸な会社であると。発展はするけども、その過程においていろいろの問題がおこって、しかもその時に志を堅くもって、それを突破していくというような体験を積み重ねていっておるということが、きわめてわれわれの長い人生には大事なことやないかと思うんです。

 

 昔のことばでありまするが、〝苦労は買ってせえ。苦労をいやがってはならない。苦労はむしろ買うてでもせないかん〟ということを、私ども、子どもの時分には教えられたもんです。苦労をいとうというような貧困な、惰弱なことではいけない。苦労は進んでするだけやないんだ。苦労は買ってでもせないかん。そうしてこそほんとうに真人間になるんだ、ほんとうに筋金入りの人間になるんだ。単なる知識、学問じゃいかんの。それを越す強いものが心の根底に培うてはじめて諸君が習った知識なり、学問が生きてくるんだ。その根底なくして学問、知識というものはむしろじゃまになるんだ。諸君の出世のじゃまになるんだ。こういうような教えを、私は聞いたことがございます。

 

 〝非常にひどいことを言うなあ〟という感じもしたんでありまするが、その後長い人生を経て、今顧みますると、そのことばのいかんに尊いもんであるということを、私は体験からしみじみと味わうんです。これはみなさんにも、そういう考え方を申し上げておくということは非常に大事なことであり、みなさんはみなさんの立場、みなさんのお考えにおいて、それを咀嚼して、何らかの機会にそれをば役立てていただきたい、ということをお願い申しあげたいと思うんであります。

 

(昭和36.12.16)

 

 〝好況の時に会社に入り、順境の中で育った社員は、いわゆる温室育ちになって、いざという時に弱さが出る〟といったことがよく言われます。そうした温室育ちの社員に筋金を通し、企業の発展を永続的なものにしていくためには、経営者が社員に身をもって困難に対処する機会を積極的に与えていく必要があるというわけです。

 

第73話 改善の好機

 

 これはみなさんも、実際に体験しておられると思うんでありますが、私どももしばしば感ずるところでありまするが、景気のいい時にはなかなか改善しようということはむずかしいもんです。やはり景気にのって、知らずしらず放漫ということに相成ろうかと思うんであります。そうでありますから、ものを改革、改善するということは、好況期には実際はできない。ことに精神的なものは一層であります。しかし多少とも不況になりますると、何か改善しようということが自然に考えてまいりますし、それをやろうということにはやりやすいんであります。そんなもんだと私は世の中思うとるんであります。

 

 まあ私の会社の一例を申しますのでありますが、景気のいい時に、品物が足りない、足りないという時に、社員に言いましてもなかなか受けつけてくれません。まあ私は社長時代に、(社員が)「まあ社長、そんなに心配せんでよろしい、まあ任せときなはれ。うまくやりまっせ」てなもんでどんどんやっていきます。だから「きみこういうことをきみ注意せないかん、ああいうことを注意せなあかん」と言うたかて、まあ耳に入りにくいんであります。しかし世の中が不景気だということになってまいります、品物が簡単に売れないということになってまいりますと、注意いたしますると、はじめて耳に響くと申しますか、耳を傾けて聞くということになります。したがって精神的な指導と申しますか、訓育というようなこともやりやすいし、会社の隅ずみまで改善せんならんというようなことがかりに必要といたしますると、それはしやすいと思うんであります。好景気の時にはなかなかやりにくいんであります。

 

 つい金が楽に儲かると、人間は気が大きくなります。買わんでもいいものを買うてみたり、せんでもいいことしてみたり、なかには罪をつくるちゅうようなことがあります。金を得て罪をつくるということが非常に多うございます。まあこれは一面人間の一つの姿でございましょう。そこにまた人間のおもしろさというものもあるんでありますから、一概に言うてもいかんと思うんでありますが、そういうことは言えると思うんであります。

 

(昭和40.3.23)

 

 企業が好況で拡大発展している場合には、どうしてもさまざまな面にゆるみが出てきがちです。しかし不況になれば、従業員も好況時には耳を貸さなかったような注意を心して聞くようになります。ですから不況は、好況時に生じたゆるみを引き締め、改革をはかる格好の機会だというわけです。


第72話 昭和不況時の体験

 

 昭和四年でありますが、浜口内閣が金解禁をいたしたことがございます。さて、それを解禁してみますると、どういうものか、途端にですね、急転直下と申すほど不景気になったんです。そういうようなことがございまして、私どもの事業も非常に困りまして、金解禁が発表されますと同時に、売れ行きが半減いたしました。みるみるうちに倉庫に製品がいっぱいになりました。したがって資金というものは足りなくなってまいりました。売れない物をつくっていくというと、非常に資金がたくさんいります。それでいろいろ考えた結果、その当時は人を解雇するということは、今日のような至難な時でありません。したがって、解雇、事業場縮小ということが、相当各方面におこったんでありますが、私もその時に、そういうようにしようかということも考えてみたんでありますが、その時に思い直しまして、これは一時的現象であると。やがて松下電器は相当多く仕事をしようという、自分は意志をもっているんだ。不景気に人をやめさすというようなこと、そういう弱いことではいけない。だからこの際にそれは思いとどまろうと。しかし現実には金が足りないからいかんともしかたないから、というところから製造を半減することにしました。つまり半日作業にいたしました、そして従業員はそのまま一人も解雇せずして、そして給与は全額支給することにした。これは従業員も喜びますわ、その当時でありますから。〝えらい話がわかってるなあ〟てなもんですな。

 

 で、社員を集めまして工場員はかくのとおり半日勤務である。しかし給料は全部渡す。諸君は社員であるから、会社と一体であるわけである。この際、休みはもう廃止だ。ちょっと強行でありますけれどね、休みはもう廃止すると。昼夜兼行で販売に一つ努力しようやないかと。社員もわが意を得た、「大将、話わかりました、大いにやりましょう」ということですわ。「それならやってくれ」と言うて、それで販売部門というものは日曜廃止、工場は半日作業ということで、二ヵ月やったです。そしたら金は続きます。資金は半分で済むですからね。

 

 そうすると偉いもんですなあ、そういうような徹底した、まあ、心意気とでも申しますか、そういうものがありますとね、営業部門はつねよりも倍、熱意をもってやるんですな、早く言えば。それで二ヵ月しますと、すっかりですね、倉庫は空になっちゃったんです。それで注文が今度はふえてきたというわけですな。そうですから、すぐに工場全部再開、一日就業に直したわけですね。

 

 ところがね、それによって得たことは、もうそれだけやない。非常にね、大きなもんを得たんです。それはやればやれるということですね。なるほど事業というものはやり方あるもんやなあ、ということです。第一、私が非常に経営信念を強めたです。それに対して。また、従業員がそこにですね、非常にそれを転機とし、一致団結したんです。

 

(昭和36.10.27)

 

 大きな不況に直面しても、みずからの経営に対する信念、志を失わなかったことが従業員の一致協力を生み出し、不況を新たな発展の転機とすることに結びついたというのです。

 

 松下幸之助氏は日ごろ、不況なり困難なりを克服する第一の条件として、志を堅持することの大切さをあげていますが、そうしたこともこのような実際の体験に基づくものと言えましょう。

 

第71話 不況またよし

 

 私は、取引銀行にも行って話をしたことございますが、「松下さんは、あなたの方は好景気でもよろしいが、不景気でもよろしいね」とこういうことを聞かれたことがあるんです。「そのとおりです。私は、最初に好景気、不景気に直面して多少心配もし、喜んだこともございました。けれどもじっと考えてみると天は二物を与えないということに自分は思いいたって、やはりいつもいいということないんだ、いつも悪いことないんだ、自分の心のもち方考え方によっては、いい時はいいとして生かすことができるし、悪い時は悪いとしてそれをまた生かすことができる。そういうことになるから、私は今あなたが言われるように松下電器は好景気にもよろしいし、不景気にはさらにいいということにもなるんです」というようなことを申しあげたことを記憶しておりますが、実際に商売というものは私はそんなもんだと思っております。

 

 また景気がですね、非常にいいということは、言いかえてみますると、まあ駆け足をしているようなもんであります。不景気というものは、まあゆるゆる歩いているようなもんであります。そうでありますから、駆け足の時には他に目が移らない。他にいろんな欠陥があってもそれに目につかないんでありますが、不景気になりますと、ゆるゆる歩きますから前後左右に目が移りますから、そこに〝ああ、こういうことに欠陥があるな〟〝こういうところに見にくい点があるな〟〝ここが汚れているな〟というようなことになりますから、これを直しておこうというようなことになりまして、ゆるゆる歩いている時、いわゆる不景気の時には、そういうような修復訂正というようなことができるわけであります。

 

 そういう心境に実はなったのが、ま、三十年ほど前だと思うんです。ちょうど商売いたしまして十二、三年たちました時に、それまでにいろいろのことを経てまいりまして、今申しましたような心境になったのであります。それからは、今もうしましたような景気によし不景気によし、景気には一生懸命に働いて、そしてお得意も広げる。不景気の時はそれを整理する、それを整備する、また新しいものを考える。そういうようにして、やがて景気を待つというような準備工作をいたすわけでございます。その準備工作をほんとうにゆっくりとできる期間というものは、私は不景気な期間においてこそそれができるんだと思うんであります。そう考えてみますると、商売というものはありがたいもんでありまして、考え方によりますると、また見方によりますと、決して心配ないものであるというような感じがいたします。

 

(昭和38.3.27)

 

 商売、経営においては、いつも好況ということもなければ、いつも不況ということもない。だからその変化に一喜一憂することなく好況、不況をそれぞれに生かすよう努めることが大切だ、というのです。

 

 そういう考え方にたって、その時どきになすべきことをなしていけば、好況よし、不況またよしということになる、というのですが、いかがでしょうか。


第70話 八百万の神々と衆知

 

 衆知を集めるということですが、これはもう今日みなさんにおかれましても、友達三人寄れば「きみの意見どうや」と言うて、友達の意見聞いて、そして自分の考えを決めるという場合もございましょう。あるいは家族寄って相談して決めるということもございましょう。とにかく人びとの知恵を集めて、そして事を決するということもございましょう。とにかく人びとの知恵を集めて、そして事を決するということであります。

 

 日本の昔のことばに、八百万の神々ということがございます。八百万の神々が、天の原に集まって、そして相談して事を決した。つまり衆知を集めて事を決する。今日のことばで言うならば、八百万の神々というのは大衆である。大衆が相寄って相談して、そうして事を決する。こういう考え方が建国の昔からあったわけですね。今日〝民主主義何々〟ということをやかましく言われまして、戦後はとくにきびしくなりまして、最近は一にも二にも「民主主義、民主主義」と言うてますけども、民主主義は建国の昔から日本人がやっているわけです。

 

 衆知を集めて事を決する、八百万の神々が集まってそうして事を決するということは、これは大衆が集まって事を決するということと一緒なんです。八百万の神々、即大衆であります。このことがですね、戦後はじめに日本にほんとうの民主主義が来たんやというようなことを言い出して、まあ大変に結構なことでございますけども、その本質的なものは、すでに建国の昔から日本人はやってきてるわけです。これを新しく、今日の時代にさらに適合するように、欧米の民主主義の制度をば取り入れたと言いますものの、その本質はですな、日本は建国以来やっているということです。これをわれわれが忘れてはならない。民主主義がアメリカから来た、あるいは欧州から来たという考えもできないことはございません。確かに、法律も変わったし、憲法も変わったし、新しい民主主義ということによって、運営が始まっておるわけでありますから、私は外来の民主主義というものを否定する者ではありません。これはこれで大いに結構であると思うんであります。けれども、その本質的なものは、すでに日本に大昔からあるということであります。その大昔からある民主主義の源流というものは、日本にこそあったんであります。そのことを忘れてはならないと、かように思うんであります。

 

 そうでありますから日本こそほんとうの民主主義の本家であると、こう申してもまちがいございません。

 

(昭和54.7.18)

 

 最近、いわゆる日本式経営というものが世界の各国から注目される傾向にあります。そしてこの日本式経営の大きな特徴の一つとして、従業員一人ひとりの自主性を尊重し、衆知を集めつつ民主的に経営を進めているということをあげることができましょう

 

 つまり私たち日本人の特性の中に、衆知を集めるに適した特性というか民主主義の源流といえるようなものが長年の歴史伝統の中で、知らず知らずのうちに養われていたというわけです。それは、今後の経営においても、好ましい特質として大いに生かして行くべきではないでしょうか。


第69話 開発と衆知

 

 研究所が十いくつある。それでみんな立派な人ばかりおる。それでしかも熱心にやってる、だから成功するかというと、決してそうやない。だから、人は少ないほどいい。そして雑音が入らん方がいい。私は衆知を集めないかんということを申しあげております。衆知を出さなければほんとうの仕事はできない、一人や二人の独断では成功しないということを一面に申します。一面に申しますけれども、三百人いてる研究所で、ものができるかというと、できる場合もありますが、概ね暇がいる。しかし、三十人の研究所におる人びとの衆知によってすばらしいものができるということは、これはまた事実である。そういうことを考えてみますとね、その研究の仕方にも千種万別あるどれを選ぶか、われわれは。それは人によってみな違いましょう。が、しかし、知っておかんならんことは、人数が多いからできる、設備が完全やからできる、金を使うからできるということも事実である。そういうことをですね、よく知ってんことにはですよ、ましてぼくは、その研究所なり、開発部に長たる人は、それを知っておかんといかん、両方とも真なりと。しかし、むこうの会社は金を使っている、人が多い、いいのんできるはずや、こういうように決めてしまうことは非常に危険である。こういうことをですね、これは一人会社だけでなく、すべて商売あらゆる面にそうやと思うんですね。

 

 そうですから、今後みなさんがそれぞれ仕事をば、責任をもって担当していかれる上において、成功されることを望みます。成功することを真にこいねがいますが、その成功の過程にはそういう二つの道がある。その二つとも真であるということをよくご了承おき願いたい。そうしていけば、松下電器は嵐にも雨にも、また天気の場合にも、それに処する道というものは自由自在にできてくるだろう。そうでないと、こういうことやなけりゃいかんのや、こういうことが必要なんだという一つのことにとらわれてしまうと、天気の時はよかったけど雨の時には困る、嵐の時には困るというようなことになって、決して事業というものは成功の形に生まれるものやない、こういう感じがするんであります。これは私が五十五年間、実際に自分で仕事をし、人にも仕事を手伝ってもらい、そうして体験した結論としてそういうことが申しあげられると、かように思います。

 

(昭和48.8.20)

 

 その方法が適切であれば、人が多ければ多いほど衆知が集まることは確かです。しかし、たとえ人数が少なくとも、やり方によってはかえってよりよき衆知を集め、早く商品開発に成功することもできる。だから、衆知を集めるについては、形にとらわれないことが大切だ、というわけです。


第68話 お得意先、世間に聞く

 

 今から四十三年前に、私が商売をして一年、一年半時分のことでありますが、長くそういう商売というものをしていなかったもんですから、電燈会社の工事をしておりましたから、さて商売してみてですね、自分でつくったものの相場もわからない。どれほど利益をとっていいかということも、ほんとうはわからんのであります。しかしつくったものは売らなきゃならんからというので、それをもって(問屋さんへ)行ったんです。それで、「これはきみ、なんぼや」と言うて問屋さんが尋ねる。「なんぼで売っていいかわからんのです。なんぼに売ったらよろしおまっしゃろ、大将」とこう私は言うた。「おまえなんや、自分の(品の)値がわからんのか」「ええ、わかりませんねん。原価はわかっていますけれども、なんぼに売っていいかわからんのです」ということですね。まあいわば頼りない話ですわ。しかし、それはそのとおりでありますから、そのとおり言うたんです。「それじゃ松下、これはこれくらいの(値段の)ものやから、これくらいで売ったらええ、これくらいで買うたる」とこう言うんです。「それで売れますか」「ああ、そりゃ、これは売れる」「ああ、それならもう売りまっさ、結構です」それで非常によく儲かる、それで、早く言えば。なまじっか知恵がありますとですね、待て待て、一円の品やから十銭口銭もらわないかんな、だから、一円十銭で売りましょうということが、だいたいこっちでつけるんです。

 

 それはやはりその時に、何もつまり野心的な意欲をもっていない。いわゆる正しいものの考え方とでも申しまするか、素直なものの考え方でぶつかったんでありますから、値段もつけてくれる。どれくらい売れるということも知らせてくれる。「今後おまえとこがなんぼやるんやったら、うちはなんぼ買うてやる」ということも全部やってくれる。夢のようなと申していいほど楽に商売ができたんであります。

 

 私は商売というものは、やり方によれば非常に楽なもんである。要するに相手ととけ込むと申しますか、相手とともにあるということであります以上は、原価を公開しようが何しようが、商売はある程度きちっとした利潤において許されるもんだということを感じたんです。だんだん大きくなってくると、形はそういう形を取れませんが、今日も私は商売の底では同じことを考えているんです。これはなんぼ儲けないかん、ということは、みなさんも言います。これはこれぐらい(の価格)で売らないかん、安く売っちゃつまらん、ということも申します。今日は、そういう形を整えんならん時代であります。もうこんだけ松下電器が大きくなると。しかしその心の底ではですね、私は四十三年前に、何も知らずしてそして商売ができたというその気持ちというものが、ちゃんと根をおろしておるんであります。

その基盤にたって、形というものを必要に(応じて)つけているというにすぎんのであって、心の底ではそういうようなものが働いております。

 

(昭和37.9.24)

 

 私の心にとらわれてものを見るのではなく、自分は世間とともに存在しており、世間の人はまことに親切に自分を導いてくれる、という考えのもとにお得意先に接していく。そうすれば商売というものは一面、非常にしやすいというのです。

 

 結局、社外の人びとの衆知を集めるにも、私心にとらわれない素直な心が大切ということでしょう。

 


第67話 自由な意見具申

 

 それは私どもが当初からですね、仕事がみんな一つ自分自身でやろうというようなつもりでやっていこうやないか。そのためには、まあ、上下、ということばは誤解がありますが、そういう区別なく、みんなが気のついたことは、一つ提案しようやないか。そうであるから、衆知を集めて一つ松下電器を経営していこう。だから、きょう入った方にも、その人のもつ知恵を遠慮なく出してもらいたい。そういうことを申してきたと思うんであります。そうでありますから、大きな提案も、みな衆智の集まりであると、こういうように考えておりまして、みんなが知恵を出し合っているんだと、こう考えております。

 

 そういうことをですね、やはり一つの具体的な理解が私は必要やと思うんです。それには、まあだんだん会社が大きくなってまいりますと、やはり規則規律というようなものが、一面にさらに強く必要になってまいります。そうでないと、なかなか統制がとれないということになるわけであります。で、そういうことが必要でありますが、ともすると、そういうような点にはですね、なんでも規則づくめになってくる、というようなことになりまして、多少社内が硬化していくというようなことにもなりやすいんであります。

 

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 しかし、松下電器は、そういうことにとらわれなくやろうやないかということで、たびたび機会あるごとに申してきたのはですね、係長に報告するということは、順序としてはそれが正しいけれども、ある場合には係長がおらない場合がある。しかし事は急を要するというような場合、まあそういうような場合でも、まあ係長が帰るまで待とうというようなことが考えられる場合もありますが、そういうことに躊躇せず、もう必要なことは、どんどんもう係長を抜いて課長に話をする。また課長を抜いて、二段跳びに部長に報告する。そういうことが松下電器はあってよろしい。いや、あっていいというよりも、むしろそういうことが必要なんだ。だからある場合には、きょう入った社員が直接社長に訴えることがあったら訴えてもよろしい、そういうようなことを、やろうじゃないか。そうしていくところに、衆知を集めるといいますか、全員経営ということになるんだ、こういうことを申してきたんであります。

 

 そういうことを言いますとですね、話は分かっているようでありますが、やはり二段飛びにやると、課長なり、部長のご機嫌が悪い。じきに、自分を抜いて上位の人に話をするということはけしからんというようなことがですね、しばしば他社では問題になるようであります。しかし、松下電器ではおういうことを問題にしちゃならない。そういうことがあっても、そのことはいいことなんだと言うて、自分を抜いて報告した場合でも、あとでそれを聞いた場合に、それをほめようやないか、こういうように一つやろうやないか。そういうのやないと若い人がいい意見もっておっても、なかなかそれは発表しにくい。そういうことでないためには、それをむしろ奨励しようではないかというようにですね、たびたび私どもは話をしてきたんです。それが、松下電器の私は一つの具体的な例としての、全員経営の空気を盛り上げる一つの原因になっつている思うんです。

 

(昭和45.1.17)

 

 自分の部下が自分を飛びこえて上司に意見具申をした場合、それによって課長や部長としての自分の権威がそこなわれると考える人も中にはあるでしょう。しかし経営者は、むしろそうした意見具申を奨励して、若い従業員が何でも提案できる雰囲気を盛り上げなければいけない。そうしてこそほんとうに衆知を集めた全員経営が可能になる、というのです。

 

 いわゆる組織の活性化、スムーズな下意上達のためには、そのような経営者の配慮というものが欠かせないのではないでしょうか。


第66話 ガラス張り経営

 

 利益の如何ということを、店員のすべての人に知ってもらう。そして、やっていくということは、これは非常に私は今後の経営において必要やないかと思うんですが、私はまあ、十人前後の間からそれをやりました。個人経営でありますから、儲けは全部親方のもんですわ、早く言えばね。だからもう、言うても言わんでも同じことですがな、早く言えば。けども、言わんとですな、だいぶ儲けとんな、てなもんですな、早く言うと(笑)。けども、すっかり出して「こんなに儲かってんや。しかし、おまえらにやらへんぞ。これは将来の発展に積んどかないかんのやから」とこう言ったらでんな、そうしたらあんたこれ心持ちよろしいもんな、実際言うと。「そうでっか。そらよろしましたなあ。まあしっかりやりまっさ」というようなことになりますからね。結局まあ、概してよく働いてくれたと私は思うんです。まあそれが、今日の松下電器を築いた一つの力になっているという感じがいたします。

 

 そういうことで、これもまあ、ガラス張りの経営の一つになるんやないかという感じがいたします。

 

 それから、今一つはですね、そういうとこからどういうことが生れるかというと、みなからいろんな提案といいますか、経営参加という、経営に対する参加という気分がおこってくると思うんですね。今月これだけ売れて、これだけ儲かった、というような公開を社員に、店員にいたしますことによって、全員が経営参加という気分がそこにわいてくるような感じを、私は過去にいたしました。

 

 で、これは、さらに言いかえますと、衆知が集まるということになると思うんですね。そうでありますから、松下電器の経営は衆知によってやっておるんだと、こういうように申してもいいと思うんであります。

 

(昭和41.7.6)

 

 普通であれば公開することのない経理上の数字を松下幸之助氏があえて公開してきたのは、その基本に経営者はつねに従業員とともにあらなければならないという信念があったからでしょう。そうした信念に基づく行為が従業員の自主性を高め、衆知を集める上でも大いに役にたったというわけです。


第65話 部下の提案を喜ぶ

 

 これはみなさんが多数の部下をおもちになっておられる方でありますから、一様に共通する点があると申しますから申し上げまするが、各社員がですね、非常に喜び勇んで仕事をするような、私は指導をしなくちゃならんと思うんです。だから、社員の人が課長にものを提案する。提案しやすいように、たえずそれを受け入れる態勢というものを、心の中にもってないかんと思うんです。「いや、きみ、そういうことを考えてくれたか」「いや、きみ、熱心で結構だ」と言うて、まずそれをばよく受け入れる。しかし、そのことを必ずしも採用するかどうかということにいたっては、また課長の立場でいろいろ考えがありましょう。熱心に考案したけれども、これは、直ちに受け入れられないというような時には、いったんその行為なり熱意なりは十分に受け入れて、そして、「しかし、これはこういう状態やから、ちょっとしばらく待ってみようやないか。また、きみ考えてくれたまえ」と言うてですね、創意発案をすればするほど課長が喜ぶんだ、部長が喜ぶんだ、重役が喜ぶんだというような雰囲気が、全社にみなぎらないかんと私は思うんです。

 

 「いや、きみ、こんなんあかんで」と言うてやる。またやってくる。「ああ、こらきみ、これはあかんで」ということやったら、もう三べんは提案しても、課長はわからんねんな、提案しても課長は言うこと聞きよれへん、やめとけとなって、結局決まった仕事をするということに陥ってしまうと思うんです。これは非常に私大事やと思うんです。だから、そういう提案を「きみ、なんにも提案せんやないか」という慫慂(しょうよう)までも、私はやり方によってはしてもいいぐらいであります。「なにかいいもん考えてくれよ、おおいに用いるで。そのことは非常に会社のためにもなり、またわれわれの仕事としてもおもしろいんだから、きみ、考えてみ、なんや考えられるぞ」ということを、つねに私はつまり部下の人に言うとかないかん。

 

 これは、課長、部長、本部長、重役みんなそうだと私は思うんです。そういう態度でおれば、盛り上がってくると私は思うんです。そうすると、予算によって仕事をするというようなことは絶対になくなっちまうと思うんです。かりに予算があっても、「この予算を(使うことを)一つやめましょう、(それより)これを今やっておかないとあきませんで」「そうやなあ、ほな、そうしよう」「それじゃあそういうことを一つ提案しよう」と喜んで提案する。「いや、それは結構や、それはやろう」「そういう必要があるか、なるほど必要があるなあ」というわけです。

 

 そういうようにしていけば、事業というものは決して心配ない。事業というものは成功するようになっておるんです。私はそう思うんです。事業というものは必ず成功するようになっておる。それが原則です。それが成功しないことがあるとするならば、誰がそれをおさえているかというと、その会社自体が成功することをおさえているんである。その一例は、今私が申しましたような形にあらわれているわけです。こんなことではいけないと、私は思うんです。

 

 社員から課長にいろいろな提案が自由自在に出るようにすることが、課長の仕事の半分である。あるいは大半であると、そういうように考えていただきたい。命これに従う、という状態におけば、衰微の一途をたどる以外ないと私は思うんです。

 

 だから、みんながわが事のように、考えを述べる。それが入れられる。入れられない場合でも、提案をしたということを称賛される。そのことは用いられない。周囲の事情でまだ見方によると、それは今無理であるということがたくさんある。しかし、提案をしたということがいかに尊いことであるかということが、同時にその人に植え付けなければいけない。それを、「こらきみ、こんなんあかんで」というように、たやすくこれを葬るということは、絶対に私は禁物だと思うんです。このことをですね、とくにみなさんがお考え願いたいということを、この機会にお願いしたいと思います。

 

(昭和37.3.19)

 

 衆知を集めるためには、経営者や責任者が、従業員の提案や意見具申を喜ぶという雰囲気を社内につくり出さなければなりません。しかし現実には、部下の意見を十分聞いていなかったり、せっかくの部下の提案を頭から批判してしまったりすることもよくあります。経営者の仕事のいわば大半は、部下がいろいろな提案を自由に出しやすくすることだという話を、時に思いおこしてみることが大切なのではないでしょうか。


第64話 強い信念のもとにこそ

 

 今日不可能だと考えることが、百年先には全部可能となっても、もっと大きな問題が私は生み出される、人類が存在する限り、隠されたところの新しい方法というものは、無限にあると思うんであります。その無限にある一つ一つをほどいていく、一つ一つを探っていく、一つ一つを見出していくということをですね、お互いがお互いの立場でやっていかない限りは、そこに利潤の確保ということはできないのではないかという感じがいたします。

 

 そういう決心があれば、そういう強い信念をそこにもったならば、みなさんの経営というものは、私はほとんど順風満帆と申しますか、端から見たらですよ、ご自身では非常に苦心しておられますけれども、端から見たら順風満帆のごとき成功をおさめていくというように、私は見えるだろうと思うんです。

 

 そういうような感じをいたしますので、私は経営者の考えといたしましては、なにごとでもですね、やりゃできる。まあえらい古いことばでありますけれども、なにごとでもやりゃやれるんだ、というような考えをおもちになって、そうしてそれを従業員に訴えていく。こういうことが、一番私は大事な問題やないかと思うんです。そうしてそこに衆知というものが生まれてまいりまして、全員の知恵で新しいものを発見していく。経営の仕方そのものにも、さらに新しいものを発見していくということにしていきますところに、私はお互いの役目というものがあるんやないかというような感じがいたします。

 

(昭和38.8.14)

 

 従業員の衆知を集めるためには、経営者が、〝やればできる〟という強い信念をもってなにごとにも取り組んでいることが大切、そうすれば、そうした信念が従業員におのずと伝わって社内の士気も高まり、自主的な創意工夫が各面に生まれてくるというのです。


第63話 ワンマン経営に見えても

 

 全員経営ということを、私は申したことがありますが、昔であれば、二十人にもなれば、一番上の番頭さんがのれん分けして、そしてまた新たに店を出す、そういう状態で長くやってきたんだけども、今日は社会機構というものはすっかり変わってき、また近代産業というものは二十人や三十人でできるもんやない。大企業体というものが、適当な数、だんだんそこに生まれてくるんだ、そうであるからのれん分けして、そして仕事をするということはできなくなってきたんだ。そうすると大きな会社に入れば、終生その会社ではたらくということになるわけである。まあ、いわゆるサラリーマンというような気風もですね、そこに生まれるような傾向にあるんだ。しかし、それは非常に味気ないように思うんだ。やはり、みんなが経営者でなけりゃならん。そうでありますから、諸君の稼業である。まあ一つ、会社の社員であるけれども、しかし、心持ちはそういう考えではいかん。その社員稼業の主人公であるというようなつもりで、きみやったらどうか。ぼくはそういうことが一番大事やろと思う。ぼくもその一人であるというような考えでやろうやないかということを、たえず言うてまいりました。また、そう言うにふさわしいような組織をば、まあ、つくってきたのであります。

 

 で、私は最初は、おっしゃるとおり、百人、二百人、あるいは千人ぐらいまでの間は、まあ私が先頭に立って命令をして、そして活躍してもらったということは、まさにそのとおりであったと思うんです。しかし、それから以上はですね、私は考えまして、いつまでも自分が先頭にたって、命令をしとったんでは、こっちもえらいし、また考えにはおのずと限界がある。そうでありますから、みんなが仕事をすべきである。こういうように、千人ぐらいになった時から、変わりまして、みんな欲するままにやれ、そしてスカタンすればそのかわりに叱られる、そらしゃあない。ええ時になれば、端から称賛される、これも仕方ない。そらどっちになるかわからんけれども、やるのは自分の責任でやれ、そういうようにお互いやろうやないかということに変わってきたんです。

 

 したがって、もうワンマンでない、一番見本的経営というものは、松下電器やないかというように私は、まあ考えているんです。

 

(昭和45.2.14)

 

 社内の空気がなごやかで、それぞれの人がみな、仕事をわが事と感じて取り組んでいれば、平凡な人の集まりであっても、その総和の力はきわめて大きい。そういういわば全員による衆知経営が、企業の発展のためには欠かせないというわけです。


第62話 ワンマン経営の欠陥

 

 賢人による経営はいかんといいますことは、賢人の知恵才覚によってすべてが処断されるということはあやまちかというと、私はそれはあやまちやと思わんのであります。賢人と言われる人、また偉人と言われる人との裁断によってものが運ばれるということは、最も好ましいことだと思うんであります。にもかかわらず私はそれはいけないということを申しあげたのは、どこにそのねらいがあるかというと、それはこういうことなんです。

 

 それは、そういう人たちが、ものを考えて、ものをするという時に、多くの人の意見を用いないという場合が多いんであります。で、多いためにどうするかというと、ただ、命これに従うということになるんです。そうするとですね、そこにその各自に不満が出るんです。偉人でありますから、面と向かってはその偉人ぶりに敬服して文句を言わんかわからんが、どことなくやはりもののつかえが残るんであります。それがために全体の仕事の上において、大きな速やかな仕事ができないという嫌いがあるんであります。みずから発意してものを進んでいくということには全力を注ぐんでありますけれども、命によってこれに従うという程度はですね、おのずとそこに働きぶりに限度というものがおこってくるんであります。それが私はいかんと思うんであります。もし賢人にして、しかもその裁断にあたっては各自の意見を十分に聞いてあやまちなきようにする。そうしてまた、事の遂行にあたっては各自に喜んで仕事をしてもらうというようにもっつていき方をするようなことができたならば、賢人を中心とした衆知の経営になる。そういう場合はむしろ賢人経営というよりも、それは衆知の経営と考えられるんであります。

 

(昭和35.1.11)

 

 賢人の知恵や決断はもとよりすばらしいものです。しかし、事業を経営するにあたって多くの人の知恵を集めることに努めるならば、そこに従業員一人ひとりの経営に対する意欲も高まり、自主性も生まれて全体としてワンマン経営以上に大きな総合力が発揮されるというのです。従業員一人ひとりがその自主性を発揮して生き生きと仕事に取り組むようになるところに、衆知経営の最も大きな効用があるということでしょう。


第61話 衆知のカクテルを

 

 私は国家でも、団体でも、会社でもね、賢人の経営はいかんと思うんです、偉人の経営はいかんと思うんです。偉人、賢人というものは、まことに尊敬すべき偉大なもんであります。けれども、それでも偉人の経営、賢人の経営はいけないと私は思うんであります。愚人の経営はどうでしょう、愚人の経営はさらにいかんです。これは問題にならない。しかし賢人の経営でもいけない。偉人の経営もいけない。しからばどの経営がいいんかというと、私は衆知による経営やなければいかんと思うんです。一人の賢人によって経営される国家というものは、一人の偉人によって経営される国家というものは、ヒットラーであり、ムッソリーニのようになります。だから私はいかんと思うんであります。

 

 しからば最高の経営は、全衆知によるところの経営であると思うんです。全衆知による経営が科学化されていくというところに、ほんとうの理想の経営が生まれると思うんであります。

 

 人は神か動物かと、人間は神か動物かとよく質問に出されまするが、人間は神でもなければ動物でもない、人間は人間だというのでありまするが、衆知の集まった知恵才覚というものは神であります。今、全世界中の人の衆知が、もしうまくカクテルされまして、それが一つの知恵となってわれわれ人間に下ってまいりますと、それは神の知恵であります。今日の全世界全部、人間の知恵が規制し、人間は神をつくり、つくった神の支配を受け、やってるようなものであります。ここに人間の偉大さがあるんでありますが、それは衆知によって初めて行なえるんであります。

 

 私は会社の経営にいたしましても、会社に今二万五千人あれば、二万五千人の衆知によるところの経営が行なわれない限りは、この会社はやがて行きづまるだろうと思っているんであります。偉人の経営で発展しても、やがて崩壊するでしょう。賢人の経営にいたしましても、やがて崩壊するでありましょう。衆知によらないところの経営以外には、ほんとうの神の経営というものはないと思うんであります。衆知によるところの経営は、いわゆる真の民主主義の経営であります。真の民主主義には衆知が集まるんであります。そう私は考えていきたいと思うんであります。

 

(昭和35.1.10)

 

 たとえ偉人、賢人と言われる人であっつても、その人一人の限りある知恵で事を進めるのは好ましいことではない。経営者はすべからく、従業員を中心とした多くの人びとの知恵を集め、これを融合調和させつつ経営を進めていかなければならないというのです。

 

 言うなれば経営者は衆知のカクテルをつくり出す人でなければならない、というわけですがいかがでしょうか。

 

第60話 自分で自分を育てる

 

 教育というものはですね、上司の人が、まあ部下の後輩に、「立派な人間になれ、責任をもってやれ」というようなことを言うこともきわめて大切なことでありますが、ほんとうは私はそれだけではもの足りないものがあると。やはり、ほんとうの教育は自分自身でやれ、みなさんはみなさん自身で自分をそだてないけないと、こういうことをですね、言えるんやないかと思うんですね。

 

 まあ最近私は感じますことは、よく私どもの会社の人が、よそへ行くんですがね。そうするとあとで、よそへ行った人の話を聞くんです。それはどういうことかというと、「松下君、きみとこの社員、この間、うちとこへ使いに来ておった。言うこと聞くと、きみと同じこと言いよるで」とこういうことを言うんですね。「あ、そうですか」「いや、まったくそのとおりなんだ。きみ、どないして教育すんねん」とこう言うて。ぼくは別にこれ具体的にこうして教育するということはないんや。しかしまあ、今私がみなさんに言うたようなことをやってる。やはり、自分自身で教育せないかんということを言うているんだ。また会社は、社員を教育することはこれはもう非常な義務やと考えている。社会に対しても、その社員その人に対しても、大きな義務をもっていると思う。だから、会社としては、その義務感にたって教育しようという熱意をもっている。しかしそれだけでは決していけない。あわせてその人自身が会社の望まれるようなことを考え、かつ社会が望まれるようなことを考えて、自分自身を教育していく。この二つをまあ、やらないかんということを考えているんだと。

 

 しかし成果のほどはわかりません。しかし今、あなたがぼくにそう言うたように、〝きみのとこから来る社員は、きみと同じこと言いよるで。いつの間に、きみはそういう教育したんや〟ということを言われててみるとですね、われわれは成果はわからんと言うとったけれども、成果でてるんですな、ということも言えますな、というんでありますが、毎日のことでありますから、そうそれにとらわれてしまうと、疲れたりね、窮屈に考えたりなりますけれども、そうやなくして、窮屈や苦しく考えんとですね、それが非常に好ましいことなんだ、まあ愉快なことなんだというような考えもってもらったら、知らずしらずに人が変わっていくということは、私言えると思うんですね。

 

(昭和42.1.6)

 

 経営者が従業員を育てるためにいろいろと努力することは、きわめて大切です。しかし、従業員の成長、向上をはかる最終の責任は誰にあるかと言えば、やはり従業員自身。だから経営者は従業員一人ひとりに、自分で自分を高めようという意欲を徹底して植えつけることが何よりも肝心だということです。

 

 結局、人間は、人から教えられて育つ一面と、みずからの意欲がもとになって伸びる一面をあわせもっているということでしょう。したがってその両面をあわせ生かしていくことが人を育てる心得の要諦と言えるのではないでしょうか。

 

第59話 後継者の育成

 

 まあ、後継者の育成ということは、一番むずかしい問題やと思いますがね、これはあんまりぼくは考えん方がええと思うんです、悩まんほうがええと思うんですね。一番その後継者について悩んだ人は日本ではまあ誰かというと、たくさんありましょうが、一番その典型的なものは、太閤秀吉ですな。太閤秀吉ほど後継者というものを、つまり煩った者はないんですね。で、あらゆる手段を尽くした結果、失敗だったわけです。太閤をもってしても、後継者をつくれんというわけですわ、早く言えばね。だから、後継者というものはもう自然ですね、これは、運命です。だから、常識判断で努力をするという程度に考えてね、それはもう自然に任さな仕方ないと思いますな。

 

 それは太閤はんも無理おまへんわ。命かけて戦争ばっかりやって、天下とったんやから、自分の子に継がしたいということは人情としてはよくわかりますわ。けれども、結局それが失敗だったということを考えてみると、おのずとそういうようなことが、まあ人力以外でですね、決定されるもんやと思いますな。だから、常識の範囲で、それはむしろ努力せないかん。まあ、これはこういうことが正しいと思うことに対して努力することはいいけど、それ以上は、もう天命に待つよりしゃあないですな。だから、後継者についてあまり考えない方がいいと思うんですね。まあ、自然に任せなしゃあない。おのずと自分の子どもに後継者としてたたすか、あるいはそれ以上に適任者があって、その人に任すかということは、その時点において自然に決まりますわ。まあ、私はそう見ているんです。

 

 だから、ある程度可能ですけどね、あんまりそれに対して執して、私はこうするんだ、だから今から一生懸命教育せないかんというようなね、そらある程度教育する必要ありまっせ。けどそれ以上にどうやということは、もうこれは執することになりますな。

 

(昭和41.5.20)

 

 自分の子どもを後継者にできるかどうかは結局は運命である。だからその育成に努力することは必要であるけども、それにとらわれることなく自然の流れに任す心境が大切、と言うのです。

 

 

 それは言いかえれば、一方で親としての人情にたちつつも、他方では企業は公のものという観点にたって、私情にとらわれない判断に努めなければならない、ということでしょう。

 

第58話 人材を引き抜けば・・・

 

 これはぼくの体験を話しするんですがね、“非常にこの人は大事やな、この人いなかったらもうかなわんな、わしも仕事するのにしにくいな”と思う場合がある、しばしあった。しかし、不思議なことにはね、今この人を抜かれたらかなわんなと思うけど、どうしても抜かれる、よそへ行くという人も中にはある。しかし不思議に、その人が抜かれたために、次席の人が今度部長になるとか、あるいはほかの人をもってきたら、ずっと成績が上がるんだ。これは不思議やね、ほんとうは。この人でなけりゃならんと思うておったところが、抜かれるとか、あるいはその人が何かで事故がおこって当分休むということによって、かえっていい結果がおこる。決して心配ない。要は、事業部長が事業部の経営信念というものが牢固として強いものがあったならば、人は次つぎといい人ができるということや。「何ぼでもいい人をもっていってください。私は何ぼでも次にいいものをこさえます」と、こういう信念に生きてもらいたいということです。これはぼくの体験が物語っている。

 

 今日松下電器がここまで来るまでには、非常に無事な姿で来たんやない、いろいろ波瀾があった。人の面にも経済界の面にもいろんな波瀾があった。その波瀾があるたんびによくなる。惜しい人が事故があったり何やして、そのまま使えないという場合はまことに残念である。しかし、次にこの人にかわってやってもらった人が、かえってその人の方がよかった。その方がかえってよかった。禍転じて福になるというようなことがある。

 

 そうでありますからね、事業部長は、この人がおらなんだらわしは仕事できんと思うことなかれ、その人を出せばもっといい人が来る、もっといい人が育つということもまた真なりということを考えてもらいたい。そうでありますから、人事部は今言うように、事業部間の交流はこれは人事部長が相談しますけども、それは人事部長の権限でこれを異動さすということは従来と変わらない。従来と変わらないよりももっと盛んにやりたい、これは。そうして空気を一新したい、こういうふうに思うんです。

 

(昭和47.11.17)

 

 余人にはかえがたいと思っていた人が、何らかの事情でその仕事を離れた場合、後を受け継いだ人が大いに力を伸ばし、成績も上がる場合が少なくない。長年の体験をもとに、松下幸之助氏はそう述べています。

 ただ、そのためには、やはり経営者に確固とした信念のあることが前提だと言います。結局、経営者の事業に取り組む信念なり熱意が人を育てるということでしょう。


第57話 適材適所と素直な心

 

 Aの人がAの仕事をしてもらうことが一番いいと感じても、本人は必ずしもそう思わない。自分の適性はAの職種に合うと考えておれば、これはもう問題ないです。「じゃ結構です。やりましょう」とこうなりますけども、実際はAの職種に適合しておるにもかかわらず、本人はBの仕事が好きである、あるいはBの仕事が自分に適しているという錯覚に陥ってる場合が往々あると思うんですね。

 

 自分が素直な心になっていず、柔軟性がないと、かたくなな考えで、一言そう言われても、二言そう言われても、「いやAは私に向きません。私はBで仕事をやりたいと思います」ということがまあ心にやっぱりあるわけです。

 

 そうなると、ほんとうはその人はAに適して、Bに適してないんだから、やはりその人の仕事もうまくいかないということがある。そこらがですね、なかなかわからない。本人もわからないし、端からもなかなかわからない。比較的それがわかるというような状態にですね、つねに心がけているというか、そういう柔軟な精神をもっていると、適性にたつことになって、思わない成果を上げるから、その集合体である松下電器全体というものが著しい成果が上がるんやないかと思うんですね。

 

 それとまた、いかに適材適所であっても、やはり適所でない場所にもしばらくはたってみる必要がある、これは一つの体験を得るために。まあ人間形成をやるという過程にはですね、はじめから適材適所といことはいかない。そうでない場所にもたってみて、しばらくそういう仕事を味わってみる。そしていつか自分の適所に座るというようなことが、非常に望ましい。

 

 そのある一定期間といいますか、適正でないところにたつことも、これは一つの過程として私は認めてもいいし、また必要やないかと思うんですけども、原則としてはやはり最前申しましたように、適材適所にお互いがたっている、たっていくということがですね、比較的好もしい状態行なわれるということが望ましい。それが今日、やっぱり成果が上がってんやないか。他から見るとそういうことできてんのやないかという感じがするんです。

 

(昭和45.3.16)

 

 松下幸之助氏は、日ごろから、私心にとらわれないお素直な心でものを見、判断することの大切さを強調しています。この先入観にとらわれない素直な心というものが、適材適所を実現するためにも必要だというのですが、いかがでしょうか。


第56話 ただ任せるだけでは

 

 私は、人の長所を見てその長所を使ってきた。しかし、その長所が出ないという場合には自分がかわってやる。しかしかわってやるというても実際にはできないから、かわってやるがごとき具体的な指示(を)した。しかし、具体的な指示ができない時には具体的な指示に等しい方法を提案した。「きみはどこへ行って会社を見てこい、誰に会うて誰にこういうことを聞いてこい。それじゃ、きみよくわかるで。それでもわからんなんだら、きみはほかへかわれ、ほかの人に譲れ、そしてほかで仕事せえ」と、そこまでやったわけである。それをいちいちやってきたわけである。それをやらずしてこの会社できないです、ほんとうは。私はそう思うんですよ。やっぱりね、社に長たる人はその分に応じてその仕事をせないかん。実際に指示せないかん。ただしっかりやってくれだけではいかん。

 

 だから、諸君のものの考え方、働き、責任感、そういうものの如何というものがいかに大きな影響を与えるかということです。だから、まあ体は遊んでいるようでも、心はきっと遊んでないというような状態になってるんかどうか、いやしくも百人の長の人の長たる人は、自分は遊んでる。きょうは休みやから遊んでる。まあ、遊んでよろしい。しかし心の中は遊んでへん。心の中にはたえず仕事のことが頭に浮かんでくる。事がおこったらパッとひらめく。そういうような状態になれないという人があるとするならば、それはもう指導者としては欠陥者である、と私は思う。だから一つみなさんはね、自問自答してやっていただきたい。それは必ずできると思うんです。

 

(昭和51.1.15)

 

 松下幸之助氏は、よく〝任して任さず〟ということを言い、仕事を任せることは任せっぱなしにすることではないことを解いています。つまり、経営者は部下に仕事を任せたあとも適時適切に報告を聞き、事と次第によってはって適当な指導、助言を与えなければならないというのです。

 これは、仕事は任せても、経営の最終的な責任まで任せることはできない、ということではないでしょうか。

 

第55話 困難が人を育てる

 

 ある一つのことが行きづまる場合がある。その行きづまる場合に、こういうようにして、ああしてこうせいということを、社長の目で見た場合にはよくわかることがございます。ものによりましては、すぐそれを言うて、たて直さないかん場合があります。しかし、少々遅れても大きな問題やないという場合には「それはきみらで考えたまえ。ぼくもちょっとわからんのや。きみらで考えたまえ」言うて、考えて各自に、その対案をつくらして、行きづまったものをどうやっていくかということをね、「社長に言うてくるよりも、きみたちで考え。ぼくはこういうように思うけども、きみらで考え。それ以上わからんから」そういうもって行き方も、私はやはり養成する課程において、必要やないかと思うんです。

 

 私は手段としてそういうことは用いなかったですけども、いくつも仕事をもっていまして非常に忙しいから、それに時間がかかることはかなわんから、その必要上、「きみらで考え、今忙しいからそんなん考えられん、きみらで考えたまえ」というようなことが、相当私はあったと思うんです。

  

 そういうようなことがあるとですね、その人はやっぱり、新しいものを考えて伸びていくわけですね。そうすると、まあ一朝、欠損して困ったことが、非常にその人をして、啓発せしめた。まあ失敗は成功のもとというようなことばを地でいくようになるわけですね。

 

 だから私どもでは、失敗しても、直ちにそれを怒らないようにしてんです。「それはきみ、心配すんな。それはきみ、失敗は成功のもとやから、再び失敗すれば困るけども、その一ぺんの失敗は心配ないから、もう一ぺんきみ、勇気出してやれ」とこういうように、言うてるわけです。そうすると、また考えてやるんです。そうすると今度うまくいくという場合もあるわけですね。

 

 そういうようにしてできる限り、各社員といわず、各課長といわず、おのれの考えを余すところなく出しやすいように、会社の空気をつくると申しますか、そういう理解を与えるというようなことに、ある程度成功しますると、会社の経営というものは私はそうむずかしくないと思います。

 

(昭和37.1.25)

 

 何か事がおこった場合、経営者がみずからその解決にあたらなければならないことは言うまでもありません。しかし、問題によっては、あえて経営者は手を下さず、部下にその解決を委ねることも必要だというのです。そうした体験が、部下の力を伸ばす上で大いに役立つというわけですが、これは実践的人材育成法と言えるのではないでしょうか。


第54話 たえず訓練を

 

 きょう、われわれの品物が人気を博して、よく売れてるからというて、じゃ、あすもそのとおりいけるかというとそうはいけない。あすはどういうものがどこから生まれるかわからない。それによって、すぐにそれが全国に宣伝されて、需要が変わるということがあり得る。これは戦前と今日とでは大変な違いだろうと思うんです。そのことをお互いに今覚悟せなならん。経営について責任の地位にあるものは、たえずそういうことを考えて、そして自分の仕事を吟味し、その遂行ぶりの遅速ということを勘案しなければならんかと、まあかように思うわけです。

 

 それでありますから、この点をですね、非常に、お考え願いたいと思うんです。で、総合の実力というものが伸びなければあかない。これは当然そういうことになるんでありますが、総合の実力を上げるには、個々のやはり実力を上げにゃならん。まあ、こういうふうになる。

 

 で、個々の実力を上げるには、それだけの訓練がなけりゃならんかと思うんです。(相撲で)横綱なんか強いというのは、まあこれは一つは素質にもよりますが、横綱といえども、けいこを怠ったらもうすぐに弱くなるということです。そうですから、土俵で一分間なら一分間の勝負を決する、その相撲がですね、けいこ場では二時間も毎日もうほとんど完膚なきまでにお互いにその猛練習して、そして体を練っている。その奮励の姿と申しますか、努力の姿というものは、土俵の何百倍かの努力が要するわけである。それを毎日たゆまずやって初めて一分間の土俵で勝負が決するということに効果があらわれる。

 

 早くいいものができるという訓練を、つねにしておけば、いざ競争という場合に、瞬間にいいものができるという場合があるし、また一つの注文をもらっても、よそが一週間で設計を出すのに、こちらは三日で出せるということになる。そうすると二日間早くできるから、先方が非常に満足するというようになる。それをどうしたもんだろうか、ああでもない、こうでもないというようなことを考えて、まあついにええもんができるにしても、それが一ヶ月先であれば、もう注文はよそへ行っちまう、というようになっていきます。

 

 そういう訓練をつねにしているかどうかということですね。これは、私は各部署においてそういう体制をとって、つねにそのそういう設計の早さ、着想の妙と申しますか、そういうものをですね、やはりつねに懸賞でも出してやっている。そうするとですね、設計陣でもなんでも、ぐんぐん、ぐんぐん伸びていくだろうと思うんですね。

 

(昭和34.10.1)

 

 平素の訓練が大事ということは十分認識していても、実際の仕事においては、とかく日々の業務をしょりすることに追われがちです。そのために、きびしい訓練を十分に重ねるところまではなかなかいたらないという場合もすくなくないではないでしょうか。その場合やはり、経営者の適切な要望が大切というわけです。 


第53話 言うべきを言う

 

 やはりみなさんは部下をもっとんのやから、部下に対しても言うべきことを言い、導くべきことは導いて、やっぱり人事を尽くすという誠意をもってもらわないかんですね。言うたらもう文句言うからうるさいというようなことでは、私はやはり具合悪い(と思う)。

 

 ぼく自身にしてもね、言うたらうるさいから、もうみんながみな、ことごとく喜んで感激して聞いてくれへんのやから、もう言わんで放っておけとなれば、これは会社はどうなるかわからない、実際は。やはり気に入らんことがあっても、やはりある程度言うべきことを言いして初めてある程度、みなも〝そうか〟ということになってくれるし、また、その態度に対しては共鳴してくれる人もできてくる。ぼくはもう放棄してしもうたというわけにはいかない(と思う)。これは必ず私はそうだと思うんですね。みなさんも放棄しちゃいけない。やはり自分の職責というものを放棄せないようですな、部下にはなすべきことをやはり要求し、そしてそれをば推進していくということに対しては、やはり実力者でなけりゃいかん、と私はこう思うんですね。それをうるさいからというて放棄するということは、自己の責任の放棄であって、職務を放棄するのと一緒であるから、それはいけない。これもですね、非常に大事な問題やないか(と思うんです)。

 

 自分一人だけが完全に働いたらそれでいいんやなくして、部下をもってる人は部下とともに完全でなくちゃならない。部下全体をもって完全に仕事をしなくてはいけないということを、よく考えてやってもらわないかん。それさえやれば、別に会社に大きな規則も何ものうても、私はある程度みな常識をもっとんのやから、カチッと私はいくと思うんですね。

 

 で、部下の人でも、中にはうるさい人があるか知らないけれども、やはり熱意の、また正しいことの前には、やはりみんなが頭を下げる。またそれに協力してくれるということは私は原則として動かないと私は思う、実際ね。それをやらないから、むしろ部下が頼りながっているというような感じ。無理解な命令は、それは当を得ないけども、そうでない限りにおいては、みなが共鳴してくれる、私はこう考えていいと思うんですね。

 

(昭和34.10.19)

 

 注意すべき時に注意することを怠る上司には、部下はかえって頼りなさを感じるもの。また、部下をもつ人は、自分一人だけの職責を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。そのためには、やはり誠意をもって言うべきは言い、導くべきは導くことが大切というわけです。

 

第52話 人を育てる基本は・・

 

 私は非常に会社がですね、企業体が発展しつつある姿、そういう姿の企業体というものは、それぞれ特徴があるわけでありますが、やはり人の育成というようなことに成功しておられる企業なり、経営というものは、うまくいっておるんやないかという感じ(が)します。

 

 そうでありますから、人を育てなくてはならない。これは非常に大事な仕事である。会社の発展のためにも、事業遂行のためにもそういうことが非常に大事であると申しましても、ただそれだけでは人は絶対育たないと思うんですね。やはり、その会社の企業目的というもの、使命感というものが、はっきりしている。そこに経営の理念というものが立派にうちたてられておるということですね。そういうようなところに、初めて努力のしがいがある。そういうもとに人を育てるということは可能である。

 

 しかし会社そのものが、会社の経営方針と申しますか、そういう経営理念というものが、曖昧模糊の形において、そして経営されている。そこで人を育てようというても、これは人の育ちようがないと申してもいいと思うんです。そういうように人を育てていくとか、育成していくとか、そういうことは、結局その会社がもつところの経営理念というものによって、やはり指導されていく。その過程においては人は育っていくとこういうように、まあ考えるんです。

 

 そういうことから考えますと、会社が経営の理念というものをはっきりともっておる。それを一つの使命感として力強く経営しておる。そういうような形から、人は自然に育っていくということもまた言えると思うんですね。そうでありますから、直接従業員の教育をやっていこう、またそれに対して成功していこうということは、まず会社がそういうような立派な経営理念というものをもってるかどうかというところから始めなくちゃならんかと思うんですね。そういうものがなくしてはならない。

 

(昭和42.11.29)

 

 人を育てるためには、この企業は何のために存在するのか、またその存在の意義を全うするためにどのような活動を行なうのか、といったいわゆる経営の基本理念をまず確立すること。そうすればどういう人を育てるのかという人材育成の目標も明確になり、その努力もおのずと力強いものになって、よい人材が育つというわけです。 経営の基本理念の確立こそ、一見遠まわりのように思えても結局は人を育てる一番の近道だということでしょう。


第51話 物をつくる前に人をつくる

 

 私は、ずっと以前でございましたが、もう三十数年前でございます、ふとしたことから、年若き社員に、お得意先に行ったらこういうことを言えと。「『松下電器はなにをつくるところか』と尋ね(られ)たならば、『松下電器は人をつくるところでございます、あわせて商品もつくっております、電気器具もつくっております』こういうことを申せ」ということを言うたことがございます。その当時、私の心境は〝事業は人にあり〟(つまり)人がまず養成されなければ、人として成長しない人をもってして事業は成功するもんではないという感じ(が)いたしました。したがいまして、電気器具そのものをつくることは、まことにきわめて重大な使命ではございまするが、それをなすにはそれに先んじて人を養成するということでなくてはならない、という感じをしたのであります。

 

 それで日常の製作の仕事をするかたわら、そういうことを感じまして、そういう話をさせたのであります。で、そういう空気はやはりその当時の社員に浸透いたしまして、社員の大部分は松下電器は電気器具をつくるけれども、それ以上に大事なものをつくってるんだ、それは人そのものを成長さすんだ、という心意気に生きておったと思うんであります。それが技術、資力、信用の貧弱な姿をして、どこよりも力強く進展せしめた大きな原動力になっていると思うんであります。資力も足りない、技術もその当時としては足りない、伝統の信用もないけれども、人を育てるというようなとこから、人は立派な人である、小僧といえども松下電器の小僧にはかなわんということは、これは得意先の一様の評判となりました。中学を卒業した一年足らずの人が、立派な会社の十年のセールスマンとともに仕事をして、勝ちを制するというのが松下電器の姿であります。これは嘘でも何でもありません。三十数年前、あるいは四十年前と申してよろしいが、そういう創業当時の状態は、一流の配線器具製造している会社をむこうに回して、こっちは小僧が行く。むこうは立派なセールスマンが行く、十年の経験をもったセールスマンが行く。そして勝ちを得て帰った。それだけやなくして、その小僧さんを中心として、年若き社員が中心として、そして、むこうの主人公をかっちり握ってくることができた。それはその心意気にもありましょう。そういうわれわれは人間として成長しなくちゃならないという強い心意気が、そういう力を私は出したもんなんだ、その状態が今日の松下電器を私はつくったと思うんです。

 

(昭和36.4.21)

 

 すぐれた製品をつくるためには、まずその前に従業員一人ひとりの成長が大切。従業員全体の人間的成長がはかられれば、企業の力強い発展も、おのずと可能になるということです。

 それは今日においてもかわることのない事業経営の基本というえるのではないでしょうか。


第50話 人を得るのは運命、だから・・・

 

 みなさんが非常にいい社員を欲しい、いい番頭が欲しいとお考えになっておられる、しかしその欲しいという番頭が得られるかどうかということは、欲しいという意思はおもちになっても、得られるということが結実するかどうかということはこれはわかりません。そこまではお互いの力が及ばんと私は思うんであります。

 

 なんや頼りないもんやなとこう言う。まこと頼りないもんだと私は思います。これは運命です。ここに私は運命論を引き出しておかしいんですが、私はそう思うんであります。非常にいい人を欲しいと思うてもですね、それにほさわしい人が得られるかどうかということはですね、自分の力ではできない。自分の力以外の、いろんな要素が動いてですね、そしてそういうことが結ばれる。いわばそういう縁を得たと。運命ですな、早く言えば。そういうものだと私は思うんであります。ただ問題は、いい人を欲しいという意識だけがあればいい。あとは運否天賦である、こういうようなことも私は言えると思うんです。ま、そういうことで、いい人を得ることはまことに結構であるが、いい人は求めても求められない。それはその人に備わっているとでも申しまするか、そういうもんじゃないからと私は思うんであります。そうでありますから、人を求めたいがなかなか人が来ない、だから困る、と悩まないようにしなくちゃならんかと思うんであります。

 

 そういうことから私は、必ず何人かのうちには自分の意に染まん人がある。まあ、十人のうちに二人は自分とまあ志を同じうする、あとの五人はそこまでいかない、中等である、あとの三人はむしろ自分の意志に反するんだと。そういう状態に十人の人がここにそろている。これがだいたい普通の状態やないかと思うんです。

 

 それであればどうかというと、それであれば私は立派な仕事ができると思うんです。十人のうちに二人までやや自分と志を同じうする人があれば、もう十分に私はできると思うんです。十人が十人とも自分に反対すると、これはちょっと困ります。二人は賛成してくれる、三人は反対する、五人はその中間であるというような状態であれば、これは私は最上の姿やと考えていいと思うんであります。それで仕事は十分やっていけると思うんです。これは、まあ人に対しての心がまえの一つでありまするが、果たしてそれが当を得てますかどうか、これはわかりません。わかりませんが、私どもたくさんの人を使ってまいりました経験からおのずとそういう一つの諦観と申しますか、おのずとそういうような考え方をもつようになったんであります。

 

(昭和37.2.21)

 

 「人多くして人なし」という経営者の嘆きもよく聞かれる昨今です。しかし社員と経営者、人と人との出会いは、あわば一つの運命。だから、一方でそのような諦観にたちつつ、人事を尽くすことが大切で、そうすれば悩まずに立派に仕事ができるーー松下幸之助氏はこのように言っております。こうした行き方にこそ、人間の本質を素直にありのままに見すえた、松下幸之助氏の人を活かす心得の基本が示されていると言ってよいのではないでしょうか。

 

第49話 大胆に人を使う

 

 私が商売をして五、六年たってですね、五十人ばかり人を使うようになったんですね。その時にですな、こう悪いことするやつがあったんですね。店のものをちょろまかしてこう売るというもんがあったんです。はじめて出たわけですね。まあ非常に私は悩みましてね、二晩寝られなかったんですよ。どうしたものかなと思ってね。

 

 ところがね、まあ二晩に、ほっと気がついたんです。どういうことを自分は考えたかというたら、昔のことですから、もう四十五年も前の話ですからね、その時に、日本に今、罪人の数が何人あるかということを考えたんですね。そうすると、罪人が十万人ある。しかし軽犯罪を入れると、五十万人ある、こういうようにまあ自分は考えたんですね。そうすると、うちにできたのは軽犯罪くらいのもんやなと、ちょっとちょとまかしたんやからね。

 

 そうすると、その時分はまあ天皇陛下はなんというたかて、まあ、神さまみたいなもんですからね。そうすると天皇陛下はですね、その国民に対してどうなさってるだろうかと考えたんです。つまり、軽犯罪者までも放逐しているかというと、国外へ放逐してまへんわな。ごく悪いやつは監獄へ入れますけども、軽犯罪者はまあ目溢ししてますわな、早く言えば。で、それを少なくすることは、天皇さんの御徳をもってしてもできないんですね、その数を少なくすることは。

 

 そうするとね、私はその時、自分のような貧困な者が、天皇さんの御徳より以上のことを考えることはまかりならん、とこう考えたんですよ。それでね、これはもうこれを喜んで入れようと、こういうようにまあ考えた。それで、本人を呼んで訓戒を与えましてね、で使いました。まあ本人も非常に悔い改めて、その後悪いことしませんでしたがね。

 

 それから非常に私は気が大きくなりました、人を使うについては。だから、五十人に一人というものが日本に軽犯罪を犯す人があれば、五百人の時には、十人かかえないかん、五千人の時には百人かかえないかん、五万人であればね、千人かかえないかん。そうせんことには天皇陛下に申しわけないという感じ。その時分やから天皇陛下ですが、今でも天皇陛下でっせ。けれども、あのそう思ったんですね、実際は。これは真剣にそう思ったです、自分はね。

 

 それからというものはね、ちょっとあれ悪いことしましたと言うたって、ああそうか、と言うて何にもそのまあ苦痛やなかったですね。ではそれはこういうように処置せい、ああいうように処置せいということは言いますけどね、悩みはなくなったですよ。

 

 そうするとね、もう非常に人を信頼して使うようになったわけですね、警戒しなくなってね。

 

(昭和42.10.19)

 

 


第48話 判断のよりどころ

 

 ご先代から立派な仕事を引き継がれて、まことにまあ光栄であり、かつまたお幸せやと思いますけれどね、半面にそういう(周囲の人が先輩だから使いにくいという)問題がありますな。あなたよりかもっと年の人で、商売はあなたより先輩の人がたくさんありますわな。だからちょっとあんたは、ものを言いにくいですな、早く言うと。どうしても遠慮せんなりませんな、早く言えば。そこに私は問題があると思うんです。

 

 その時に私はやっぱり一つのね、拠点というものが必要やと思うんですね。いわゆる拠点とは何かというと、何が正しいかということですね。

 

 そうすると、あなたのご商売はですね、あなたとそのお店の方のものであるか、あなたとお店のものであると同時に社会のもんであるかどうか、お得意先のもんであるかどうか。(すなわち)公共性をどれほどあなたがおもちになるかということによって、その決心はできるはずですわな。私はそう思うんですね。

 

 これはまったく自分のもんであるとなれば、それはもうどないしてもいいわけですわな、早く言えば。しかしこれは公共的なもんであると。私の企業といえどもですね、本質は社会公共の仕事であると、こういうお考えになれば、そこに勇気も出てきますね。改革の頭も出てきますね。私はそういうところにポイントをおいてお考えになれば、それは自然、道ができてくると思うんですね。情宜なり功労は功労として認めてですね、そしてやっぱりやる方がいいですね。

 

 こういうことで、西郷隆盛は非常にいい遺訓を残しているんです。それはですね、国家に功労あった者は禄を与えよ、というんですね。しかし地位は別だというんですね。地位は、その地位にふさわしい見識のある者に与えないかんということですね。これが西郷隆盛の国家観ですな、早く言えば。同時に管理観ですね。私は、これは非常にお互いがですね、もって参考にせんならんと思うんですね。ちょうど今、西郷隆盛の教訓を、あなた一ぺんお味わいになったらよろしいですね。私は偉いと思うんです、西郷隆盛という人はね。

 

(昭和38.8.21)

 

 〝功績のある者には禄を、見識ある者には地位を〟これが人事の原則であり、この原則の実践のためにも「企業は公共のもの」という強い信念が大切だというわけです。


第47話 欠点を知らせる

 

 私どもずっとまあ、これは以前のことでありますが、みんなの前で、まあ人から尊敬されているところの責任者の意見に対しましてですね、「それは、きみ、まちがっているよ。きみそんな考え方やとだめやぞ」とこう言う。(そうすると)その人が恥ずかしく思いましてですね、自分はまあ責任者であるし、みなからも信頼されている。それが社長から、「きみあかんやないか、そんなこと言うたら、そんな考えあかんやないか」と言われると、なんだかこう卑下するように思うんでありますが、あえて私はそれを言うてきたんであります。それはまあだいぶ昔の話でありますけども。

 

 というのはですね、どんな人間にでも欠点というものがある。完全無欠なと考える人間はありません。まあ神様はそんなものつくってないんでしょう。そうでありますから、ここに十人の人があって、一人がそこの中心になっているという場合にですね、その十人の団体が成果を上げるためには、その中心になっているところの責任者の欠点を他の九人の部下が知らないかんと私は思うんです。尊敬すべき点も知る必要がありますが、その人の欠点も知っておかないかんと思うんですね。そうして、事を行なうにあたって、その主人の欠点を善意をもって補っていくところにですね、その十人のグループの成果というものが上がってくると思うんです。

 

(昭和39.6.4)

 

 上から下へのパイプは通じても、下から上へのパイプはどうしてもつまりやすいものです。その意味でも、上の者がいつも部下の人たちに自分の欠点を知らせておくことは、パイプの通りをよくするうえで、以外に効果があるのではないでしょうか。


第46話 六十%の可能性があれば

 

 ある社員があってですね、この人に何か仕事をしてもらうということが、まあ、終始おこりますわね。その時にこの人が適任であるか、不適任であるかということは、これはまあ重要な問題ですわな。で、適任でなけりゃいけないと。けれど実際はそれはわからないです、ほんとはね。ただ話してみたり、顔つき見てみたり、才能試験をすると、まあしてできんことはありませんけども、それだけではわからないです、ほんとはね。

 

 そうすると、どうして決めんのかということですな、だいたいまあ、六十%ぐらいね、この人やったらちょっとまあ、六十%ぐらいいけそうやな、と思うたらもうそれ適任者としてもう決めてしまうんです。だいたいそれでこううまくいってんですな、それで、早く言うとね。

 

 それを八十点まで一つのこの人の点数を、つまりいろんな角度からみて、そして選っていく。そらまあ八十点の点数を求めるような人がそこに生まれるかわからない、探しあて(られ)るかわからない。そら、それにこしたことないですね。しかしそれは非常に時間かかるんですな。手数かかりますな、早く言うとね。その手数とか時間とか、かかってすること思ったらね、それはマイナスになるわけですね。だから、もうだいたいまあ話してみて、まあこれやったら実力五十点、五十点では困ると、まあ六十点ぐらいあるなあと思ったらね、もうきみ大いにそれやってくれ、きみ十分いけるよ、というようにもう感じるわけですね。たいていうまくいくんですな、早く言うとね。やってみるとね、もう百点満点というような仕事もする、中にはですよ。全部が全部いかんでもね。そういうことに実は成功してきたと思うんです、私はね。

 

(昭和45.11.18)

 

 いかがでしょう。六十%の可能性があれば、どんどん起用していく。これなら人材は豊富です。そして、それによってさらに人が育ちます。肝心なのは人を育てていこうという気持ちです。長年の体験に裏打ちされた、きわめて現実的、合理的な人材活用法と言えましょう。


第45話 不平不満の原因

 

 ここに二つの会社がある。一つの会社は、社員はそう会社に対して不平不満もっておらない。会社とともにやろうということで、仕事に感激をもってやっている。少々の時間の超過するのなんかは問題にしない。命じられないことでもやろうと考えている。非常に好ましい状態である。

 

 ところが、一つの会社はそれに反して比較的待遇もいい。それで理解をもってその会社は社員を遇している。にもかかわらずその社員は不平不満が多いということがあります。これはみなさんもそういうことをお考えになって、気をつけられたらじきわかると思うんです。みなさんのお取引先のAとBの会社があってどっちの会社が不平不満が多いか。Bが多いんかAが多いんかということですね。じきにおわかりになると思うんです。

 

 そうでありますから、物的給与を多くしても決して喜ばない。やはりその会社には一つの使命感があって、そしてその使命感を遂行するについての社是がある。この会社はこういうことをやるんだ、というその方針がきちっと決まっている。そしてその方針を遂行するにあたっての社員心得というものを、つねに適当に訓育している、そういう会社(には不平不満が少ない)。社是社訓のない会社は、私はおおむね力弱いと思うんです。なんぼ月給出すからしっかりやってくれ、と言うだけではいかんと思うんです。〝この会社はこういう使命にたっているんだ。この使命を遂行するためにはこういうことを社是として、会社としてやらなくちゃならん大事な問題としている。そのためにはこういうことをお互いに考えないかん〟そういう社是社訓がピシッとあって、適当にそれを教え、それで導いていくというような会社は、時間を、ある場合は過ぎてもみんなわが事のように仕事をする、というような風習が生まれるかもしれない。

 

 ところが、そうでない、そういう会社でなかったならば、もう賃金はなんぼや、時間は何時間やということにとらわれてあまり努力しない、という二つの事例というものは、みなさんがお帰りになったらじきにわかる。じきにそういう取引先があると思うんです。みなさんのお会社のうちにはたくさんお得意先があるんでありますから、そのお得意先みてたら、〝ああAの会社なかなかうまくやっているな、Bの会社はそうでもないな〟ということがすぐおわかりになると思うんです。

 

(昭和49.7.22)

 

 大きな目標、目的をかかげ、その達成のために全員が力をあわせるところには、不平、不満が生まれてくる余地が少ないということです。その意味でも、社是、社訓というものの大切さを、改めて見直してみる必要があるのではないでしょうか。

 

第44話 部下が偉く見えるか

 

 私がですな、こうしてみなさんの協力を得て、今日までやってこられたということについては、なぜだろう。そう偉い人間でもない、頼りない人間だ、にもかかわらず、世間の人は、なかなかきみは経営がうまいなとか言うてくださる。そういうよさというものはどこにあるのか、私自分でもわからん。しかし人の言うところでは経営もうまいと言うし、人使いもうまいと言う。人使いがうまいとも経営がうまいともぼくは思わない。しかし人はそう言うんやから、何かそういうようなことあるんやないかと、ま、感じもするんですがね。

 

 そう言われてみると、どういうとこが多少でもええんかということを考えてみる。そうするとね、ぼくは小さい規模の時から今までまいりましたがね、この間に、たくさんの人が会社へ参加してくれたんですよ。どの人を見てもね、どの人を見てもぼく自身よりも偉い人、〝ぼくよりあかんなあ〟と思う人はほとんどいない、こういうことです。それは私が所主であり、社長であり、しましたから、「きみこうせい、ああせい」というて言いつけもします。「そんなことしたらあかんやないか、こうせなあかんやないか」というて怒ったりもします。それは、そういうこと言わざるを得ないから言いますけどね、しかし、そうは言うてるものの〝この人はわしより偉いな、こういうところがこういうように偉いな〟といつもそう思うんです。それがね、まあ私は今日のぼくができたんやないかと思う。多くの人の協力を得たんやないかと思う。なんぼぼろくそに言うても、ぼろくそに言うてるけど腹の底では〝この人はわしより偉いな、総合点数はわしより偉いな〟とこういう感じがある。しかし、自分は社長やから、言わんなんから言うてるけどもね、内心はそうであると。で、そういうところに、一つの長所といえば、長所があったんやないかと思う。

 

 そういう点から、広く世間(の)多くの会社を見てみる、あるいはうちの得意先見てみると、そこには社長もあれば、専務もおる。で、うまくいかんとこがあると。うまくいかんとこはね、「自分とこの会社のね、社員というものはみなあかん、あれは間に会わんのや、困ってんのや」ということを訴える。そういうところはやはりうまくいかない。そやけど、「いや松下さん、うちの社員みな偉うおますわ、私より偉うおますわ」と言う社長のもとでは、みんな人が働いているし、会社もうまくいくと、こうなっています。そういうことが言えるかどうかということですな。

 

(昭和49.1.10)

 

 仕事ができ、自信に満ちている人ほど、周囲の人間が頼りなく思え、欠点ばかり目について部下が信頼できないと言う結果になりがちです。しかし、人それぞれに必ず長所があります。その長所に目をむけることが、ここで話されている〝部下が自分より偉く見える〟ということに通じるのではないでしょうか。そうなればしめたもの、というわけです。


第43話 熱意が大切

 

 社長の一番大事な仕事というものは、社員の方がたに「こうして欲しい、あああって欲しい。会社はこういうようにやるんだから、こういうようにやろうやないか」という強い呼びかけをもつということが、私は社長の仕事だと思うんです。社長がそういうことを言わない、あるいは社長に代わるべき人がそういうことを言わないとすればですね、それでは何をどういうふうにやっていいんかということについて非常に力強いものが生まれてこない、ということになりますから、どうしてもその首脳者の立場にある人は強いそこに理想といいますか、希望というものをまず打ちたてて、それを社員の隅々までですね、要望する。要望をしない社長というものは存在の意義がないと私はこう思うんです。だから、誰よりも強い経営意識にたたないけない、社長というものは。

 

 社長は仕事そのものは、あるいは下手かもしれない。また技術もわからんという点もあるかわからない。しかしこの会社を社会のためにも、お得意先のためにも、従業員のためにも、会社自体のためにもよくしたいという強い熱意というものが、二万人のうちに一番強いものをもたなければ社長としての意義がないと私は思うんです。社長の責任というものはそうだ、一番熱心である、一番熱意をもっているんだ、その次に副社長が社長についでの熱意がある、そういうようになれば私はもう一番いい(と思います)。だから、何々部であるならばその部を「こうしたい、ああしたい、こういうように発展させたい、こういうようなところに役にたつようにしたい、こういう要望に応ずるような製品を出したい」ということが、その部に千人おればみなそういうことを考えてよろしいし、考えなくちゃならんが、それに対して一番強い要望者は誰かというと、その部長でなくちゃならない。かりに部長が体をあるいはきょうは休めておるというような場合であっても、その強い熱意というものは全身からほとばしっているというようにならなくちゃならない。それが部長の、私は一つの大きな無言のうちに仕事をする一つの姿やないかと思うんですね。その熱意をみて、あとの次長の人が、部長は非常に熱心だということに感銘をしてですね、そうして自分の立場をもって部長を助け、また部長の熱意に基づくいろんな要望を部長に代わって一つしてやろうというような、そこに意欲をもたれる。さらに部下はだんだんそうである。

 

 で、課長がその熱意ない、部長が熱意がないと、よし仕事に熱意をもって一生懸命やろうという人があってもですね、課長があまり熱意ないと、なんだかこうやる精がでない。これはもう人情です、実際言うと。上手、下手は別であると。仕事について上手であることは大事であるけれども、もっと大事な問題は、その仕事に非常に精神を傾ける。そして部下の社員、課全体、あるいは部であれば部全体の人たちに呼びかけていくと、そういうものをもたなくちゃならん。それが首脳者なり幹部の私は大きな一つの仕事の基本だと私は思うんであります。

 

(昭和34.2.11)

 

 「知恵や、知識、才覚というものは必ずしも最高でなくてもいい。しかし経営に対する熱意だけは、最高でなければならない。それが人を使う場合に限らず、経営者の行動すべての基本だ」と、松下幸之助氏は言い切っています。その熱意があれば、従業員はその熱意に共鳴して、それぞれ最高のものを出してくれるだろう、というのです。

 

第42話 経営者次第(「社員の意欲を高め、大いに働いてもらうコツは、一口に言うとどういうことでしょうか」への回答)

 

 あの日本のことばにですね、〝頭がまわらなんだら尾もまわらん〟ということばがあるんです。だから、あなたの方の百人の人を緊張させて、そしてあなたが大いに成果を上げようと思えばですね、あなたの活動が端の人が気の毒な、というようにならんといかんでしょうな。〝うちのおやじ、もう一生懸命にやっとるのや、もう気の毒や〟という感じがおこれば全部が一致団結して働くでしょう。けれどそうでない限りは、あなたの活動の程度にみなが動くでしょう(笑)、早く言うと。私はそう思いますね。人間というものはそんなもんです、ほんとうは。だから決してぼろいことはないわけです。自分はタバコくわえて遊んでてからに、働けと言うたかて、そら働きよらんですよ(笑)。だから、私はまあそいういうように考えてやってきましたです。

 

 しかし、まあ一つの方法とすればね、あなたがつまり意見を求めるということをしきりにやらないかんですね、早く言えば。面倒やけれども一ぺんあの男の意見を聞いてみよう。立ち話でもいいと思うんです。「こういう問題おこっとるんや、きみどう思うか」というようなね、みんなに相談してみんながそれに関心をもってやるというような方法はええんやないかと思いますね。百人ぐらいであれば私はできると思うんです、それが。もうたくさんになるとちょっとむずかしいですからね、百人ぐらいが一番使いごろやないですか、人数が。まあ、そういうように感じますがね。とくに特法(=特別な方法)というのはないと思います、ええ。あなた次第やと思いますね。

 

(昭和37.3.20)

 

 指示し命令するだけでは、ほんとうに人は動きません。まず経営者自身が先頭にたって動き、そのことに生きがいを感じることが大切、というわけです。そうすればみんなが一致団結して働くようになるーごく当たり前の話ですが、やはりこのあたりに人情の機微があるということでしょう。


第41話 公に尽くす心意気

 

 使われる者から言うと〝使われるのはかなわんな、何でも偉そうなこと言うて命じよるから、それを『へい』と聞かんならんからかなわんな、使う身にもなりたいな〟ということは一応考えるんです。

 

 しかし、さて使う身になってみると、昔の思想の時でありましても心をもってこれをみますると非常に気を、苦を使う、なまやさしくは人は使えない。ほんとうに人を使うということはいかにむずかしいことであるかわからんということを言うとるんです、昔でも。

 

 で、今日は私はもっとむずかしいと思うんです。だから、個人的にはあんまりたくさん人を使わない方がいいと思うんです、実際は。

 

 しかし、今日はもう松下電器は個人的に誰が考えても許されない、みんな大同団結のため、また社会的な立場にたってのみものを考えられる。いわゆる松下電器の今日は名は株式会社でありますけれども、これは社会の公の製造機関である。それをわれわれが責任をもって担当をしてる重要な立場にたっているんだと考えております。個人のものの考えということは第二義、第三義的に考えねばならない、と考えまするから、今申しましたようにですね、個人的な苦労というようなことは問題にならない。公にどうして生きるかということに情熱を傾けないかん。またそこに生きがいを感じなならんというところに、松下電器の経営の精神というものが私は脈打っておると思うんです。

 

 みなさんもやがてだんだんと古くなって重要な地位にたってきますると、私が今言うたことと同じことをみなさんがお考えになられると思うんであります。そういうような感じを味わうことができないということであると、みなさんはやはり、平社員の状態におられると思うんです。平社員がいいか悪いかというんじゃありません。少なくとも課長となり部長となり重役というような地位になる人は、今私が申しましたようなことを十分に感じつつそれと取り組んでやっていく。いわゆる私をなくして公に尽くしていくというような心意気に生きなければ、そこに生きがいを感じなければ、到底今日この会社の経営というものは指導することはできないと思うんであります。

 

(昭和37.4.21)

 

 いかがでしょう。事業は社会の公器であり、社会の役にたたなければならないという使命観にたってこそ、初めて多くの従業員の心をつかみ、その上に立つことができるというんです。これは、松下電器の新入社員に話したものですが、会社に入ったばかりの社員にも、公に尽くす心意気の大切さを説いているわけです。


第40話 雨が降れば傘をさす

 

 雨が降れば傘をさすということはきわめて自然の状態でありまして、暑くなれば薄着になる、寒くなれば厚着になるということでございますが、これは、もう誰しもそのとおりやっておるんでありますから、いわばみんなが天地自然の法に基づくところの生活方法をやっておられるということになろうかと思うんであります。しかし、ことがその商売ということに入りますると、どうも天地自然の法にかなったようなやり方をなさらないような経営が、私はちょいちょい見受けるんであります。そういうところは、概して失敗していく。そうでないところは成功していく。言いかえますと、天地自然の法にかなった経営法をしておるところは、成功していく。

 

 これをまあさらに具体的に申しますと、アホみたいなことでございますけれども、売れば集金をするということであります。これはもう当然の話でありまして、品物売れば、必ず集金をするということ。買ったものが一円であれば、一円十銭に売る。これが私は天地自然の法やと思うんです。一円のものを九十銭で売れば、これはもう、天地自然の法でかなわないことでありまして、これは失敗するんであります。これはきわめて当然のことでありますが、そういうことが往々にして、行なわれているのを見受けるんであります。

 

 で、ある人が金が足りない、金が足りないために、なんとか資金をつくらなくちゃならない。それで、ある人に金を借りにいったということでありますが、その人は「きみに金はかさんことないけれども、なぜそんなに資金が足らんのか」という話をしますと、「いや、こうこういうわけで資金が足らないんだ」という話をしたというんですね。その時に、その人は「いや、それならば貸してやろう」と言うかどうかというと、その人は言わなかった。なぜ、言わなかったかというと「あんたは資金をもっているやないか。あんた、たくさんの債権もってるやないか。自分はみずから債権者の立場にたちながら、あえて、借金をする必要ないやないか」こういうような答をしたということでありますが、これは、私は人から聞いたんでありまするが、非常におもしろいことだと思うんでありまして、そういうバカなことはないとわれわれは思うんであります。

 

 けれども、実際の経営体には、そういうような傾向が非常に強いんでありまして、集金すべき金を集金しない形において、一方でどんどん銀行で借金をふやしていくとか、あるいは新規に他で借金をするとかいうような傾向が、実際にあるわけなんです。これは、まあ、みなさんのうちにはそんな方はないと思いますけれども、広い社会の経営層にはですね、そういう傾向が非常に強いということを、私も四十余年の経験で知っておるんでありまするが、そういう物語を聞きました時に、なるほど、これは考えねばならんことだというような感じをいたしました。

 

(昭和35.9.20)

 

 〝雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度はぬれるのも仕方がない。ただ、雨が上がるのを待って、二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい〟松下幸之助氏は、その著書『PHP道をひらく』の中でこう記しています。結局、繁栄、成功の要諦は、平凡なことを平凡に、しかし着実になしていくことに尽きるというわけですが、ここで松下幸之助氏が時折に口にしていることばをご紹介して結びといたしましょう。

 〝道にかなった方針をたて、全員が心を合わせてつとめれば、事業というものは必ず成功するものである〟


第39話 松下電器発展の要因

 

 私がもし非常に頑健な体やったらね、めんどうくさいから自分がダーッとやるということになるわけですな。けれども自分はそれができない、だからどうしても私は人を信頼し、人に頼む、人をしてやってもらうということになってきたわけです。それが一つの非常に大きな成功やったと思うんですね。

 

 それともう一つは、私がまあ、ご承知のように学問がありませんわね。学問ないから、学問を尊重するという気になるんです、早く言えば。自分が学問ないから、どんな社員でもぼくより偉いんですわ、早く言えば、ね。それはそのとおりですわな。みな学校を出てきて、みな偉いですから、早く言うと。みんな偉く見えるんですよ、私には。だからこれも人を使う上において非常にプラスしてます。この二つがぼくをして大成功せしめたことです、早く言うと。そういう見方を私はほんとうにしてまんねん、今。

 

 だから私はね、やっぱし人間というものは、それぞれつまり天命というものがあると私は思うんですね。努力もせないかんし、また誠心誠意働きもせなならんことは言うまでもありませんけども、しかしそれは、一応決まった運命のうちからみると、その何%のもんである、いわばね。まあ人生というものが百%で申すならば、もう決まった運命というものが七十%ほどある。あるいは八十%あるんだ。あとの二十%だけがですね、知情意の働きによって、それを左右することができるんだ。だから人間と言うものは、動かすことのできない一つの運命というものが与えられている。

 

 これを承認するということが非常に大事な問題やと思うんです、私は。これをね、承認をして初めて世の中にたっていく。そうすると二十%なら二十%の知情意によってですね、自分の運命をある程度動かすことが可能になってくると、こういうように私は思うんです。

 

 そうみるとね、成功したからというて、いかにも自分の腕でそれをやった、というような誇りもね、別にその、まあ感ずる必要もない。こういうようにもなるし、また失敗してもですね、かりにそれが運命ならば、あえて悔やむ必要はない。むしろその失敗というところに人生を見出していこう。そうするとまた与えられた運命というものが生きていくんだろう。だから失敗も結構であるし、成功も結構であるというふうな心境にですね、ぼくはやはり到達すると申しますか、そういう感じを味わうということが、非常に大事な問題じゃないか(と思うんです)。

 

(昭和37.7.4)

 

 病弱であることと学問がないこと、常識的には誰もが失敗の原因と考えるんであろうこの二つのことを、松下幸之助氏は、成功の要因としてあげています。満九歳で社会の荒波に飛び込んで以来、松下幸之助氏はおこってくる現実を一方で運命として素直に承認しつつ、つねに将来への希望を失うことなく、なすべき努力を続けてきました。そういう中で培われてきた独自の人生観が、この見方の根底には脈づいているのではないでしょうか。


第38話 事破れて悟る

 

 とにかく、容易ならぬ状態であったということを素直に認識するということは、私はお互い必要やないかと思うんですね。そういうことを素直に認識して、重大な状態であるということと、また自分の考えに多少安易な考えがあったとか、あるいは時代に流されておったとかいう考えがあったとか、ま、そこにいろいろ考えがあったと、その考えを素直に認識することがまず第一やと思いますね。この認識からたって次の方策というものが出てくるわけですね。

 

 今日のこの状態というものを素直に認識してやれば、ついには非常に大きな、つまり要するに考えというものが生まれてくるからね。これは非常に、この大きな失敗というのは、まことに尊い体験である。そういう体験をとらなんだ去年よりも、そういう体験を得た今年の方が、ずっと個人としても、会社も成長しているもんだと、こういう解釈もできるわね。そうすると、意気揚々たるものがあると私は思うんですね。けれども、そういう解釈しないと、頭が痛むという状態でいくわけですね。

 

 私は事破れて初めて悟れるとでも申しますか、そういう心境が望ましいと思うんですね。事破れてというて、破れているわけではありませんけれどもね、まあしかし事破れて悟りを開いたということは、これは非常な進歩だと私は思うんですね。そういう悟りをもつということが非常に大事だと、こういうように思うんですね。そうすれば、次に生まれて来るものは、非常に進歩した、成長した姿になって活動できていくんやないかと思うんですね。

 

 ま、人間というものは、私はそういうものだろうと思いますね。やはり偉大な仕事をした人も、何の失敗もなくして偉大な成功している人は、ほとんどないと思うんですね。事にあたりまして、いろいろそれが破れて、その都度、そこに、発明するといいますか、心に悟りをもつといいますか、だんだん成長していってですね、そして立派な、そこに信念を植えつけるということになると思うんですね。

 

 ところが、その一端のまあ失敗といいますか、ま、時局には関連しておこったことといえども、それを素直に失敗と認めていくか、いかんかということ、これが一番問題なんですね。それを認めないというと、そういうことが百ぺんあったかて、ちょっとも進歩しないと私は思うんですね。ただ、世間に対して不満をかこつだけになってしまう。それでは進歩もないし、不幸はまた重なると思うんですね。

 

 だから、非常に現在の状態を素直に認識し、そしてこれは非常にいい体験であった、少々高かったけれども尊い体験だと、こう解釈して、そしてそこに心を開く人は、私は非常に後日進歩する人で、成長する人だと思うんですね。

 

(昭和39.11.9)

 

 「成功するまで続けるところに成功がある」松下幸之助氏は日ごろそう述べて、努力を続けることの大切さを説いています。しかしその成功へのあくなき努力は、一時の失敗を素直に認め、そこに新たな悟りを得るという姿勢があってこそはじめて実を結ぶのではないでしょうか。まさに〝失敗は成功の母〟というわけです。

 

第37話 病気の早期発見

 

 今、この人間の体がですね、最近だんだん進みまして、早期診断ということを言うてますね。癌のごときは早期診断すれば治ると言うんですね、早く言えば。しかしまた、早期診断ということは非常にむずかしいので、よほどの名医であるか、よほど自覚した人でありましたら、ちょっと怪しいと思うてですね、見てもらう。「これは癌の早期ですよ、今やったら治ります」と言うて、これは治るわけです。しかし、それはごく少ないんであります。大部分はですね、もう見てもらった時は手遅れであるというような状態である。早期診断ができない。

 

 と同じようにですね、会社の経営におきましても、私は早期診断ができるかできないかというのは、問題だと思うんですね。会社というものは、ちょっといかんなあと気づくという場合、端から見て、ちょっとあの会社怪しいという時は、非常にもう末期になってるわけですね、ほんとうは。それを治すということはなかなか治らないんであります。

 

 そうでありますから、端から病気やなと言われるような状態になれば、もうそこから治療しても相当進んでいくと思うんです。早期診断というか、早期判断がですね、会社経営には私はきわめて大事やないかと思うんです。経営者の立場にたつ方がたと申しますか、まあ重役諸公と申しますか、あるいは部長さんと申しますか、そういう上位の方がたはつねに自己判断をしておかなきゃいけない。自分自身の仕事の上に自己判断をしなくちゃならない。同時にまた、進んでは会社そのものをですね、つねに判断をして、そして、こうである、ああであるということで、〝きょうはまあ大丈夫だ、今日はまだ病気はどこも出てないな〟端はみなもう立派な会社や、とみな思うてますから。けれども、一番よく知ることができるのは自分の会社自身であるから〝この点が欠点があるな〟ということになれば、それを気がつくということがきわめて大事である。それさえすれば、私は会社の経営というものは大きな失敗はないと思うんでありますが、失敗をいたしました会社の状態を聞きますると、端からもだいぶんに警戒されるような状態で自分も気がついているという会社はほとんど悪くなって、もう病膏肓(こうこう)に入っているというわけですな。

 

 そうでありますから、個人の体と会社の経営体というものは同じように判断していいと思うんです。最近、私はそういうように社員に話をしているんです。個人の健康をみるごとく、会社の健康をみないかん。治療またしかりである。そういうようにすれば、与えられた天命と申しますか、寿命は生きられる。会社もですね、与えられた、要するに天職というものが尽きない限りは、まあ著しい発展をしないまでも、まず心配はないだろうというような話をいたしております。

 

(昭和39.6.24)

 

 自分の体についてさえ、病気の早期発見はなかなかむずかしいものです。まして会社、商店の病気ともなれば、それは一層むずかしい早期発見が的確にできる名医でなければならない、というわけです。

 

第36話 資金借り入れの要諦

 

 資金の問題について、私どもの体験をお話し申しますと、私は今まで戦前戦後を通じてでありますが、拡張してまいりまするに資金がいります。資金を利益から上げるということは、今日の状態ではなかなかむずかしゅうございます。拡張が激しいという点もございましょう。日本の業界におきましては、どうしても借入金をふやすかというような状態において事業が進んでいく。儲けた金を資金に賦布し、その資金がふえる状態に拡張していけるということが、一番望ましいことであります。堅実な方はそういうようにやっておられます。けれども、社会情勢が非常に進歩が早うございますから、先ほども申しました税金が非常に高いから、なかなか手元資金をふやすということは困難でございますから、どうしても借金をやらなくちゃならんというような傾向になってまいります。

 

 したがいまして、私どもも年々歳々借金をふやしております。ところが、その借金を私はただの一回も未だ断られたことがないんです。銀行へまいりまして、そしてこういうように資金はいりますからお貸し願いたいという場合に、銀行はいつの場合でも、よろしい、とこう言うんです。必ず私の要求どおり貸してくれるんであります。

 

 これはみなさんも私はたぶんそうだろうと思うんでありますが、ここのところがですね、私はちょっと申し上げたいんでありますが、銀行というものはですね、どんなところであっても、信用の範囲を出しては貸しません。貸す場合も中にはありましょうけども、それは特異な銀行でありまして、だいたい普通堅実な銀行というものは、その人に貸すところの信用の範囲というものは、彼らは彼らでちゃんと判定するんであります。その銀行の信用の範囲のうちであれば、喜んで貸してくれるんです。それはお得意として貸してくれるんです。大事なお客さんとして貸してくれるんです。しかしその信用の範囲をちょっと出るとですね、お得意とか、大事な取引先というような考えがなくなって危険な相手やと、こうなるんです。これは非常に大事なことやと私は思うのです。

 

 それでたえず自分の信用というものは、今どの程度にあるかということの自己判定ということが、私は必要やないかと思うんです。自分は今、今度こういう仕事したい、そのためにはこういう金がいる。この金を借る信用の範囲というものは自分にはどのくらい与えられているかということをですね、自己判断できなかったらだめやと私は思うんであります。そりゃ当たって砕けろということばがありますから、信用あるかわからんけど、当たってみようというて当たってみる人があります。幸い貸してくれた、やっぱりあたってみてよかったな、貸してくれた。こういうことがありますけども、それは銀行はちゃんとその人の信用みてるんです。その人は当たって砕けようとして当たったんですけども、むこうでは、言うてきたことは十分に信用の範囲や、だから貸してあげたらいいと、喜んで貸してくれる。頭を下げて貸してくれる。お得意として扱ってくれる。

 

 私は、そういう点をまあ自分ながら考えまして、銀行というものは元来そういうものであると。だから、今まで大事なお得意として扱うてもろてんのを、危険な相手となるのは至極簡単である。それは、信用の線を越した要求すれば、必ず危険な相手と思うに違いない。今までは大事なお得意として手を握られておったのが、危険な相手として警戒されるということになるんだから、この線を見誤っちゃならないということをですね、私は自分でいつも考えておったわけです。それでまあ自分はこの線はええだろうと思う、その線の範囲をもっていくです。

 

(昭和37.2.21)

 

 経営者としての自分自身に対する信用、あるいは自分の企業に対する信用というものがどの程度あるのか、それをたえず正しく判断しておくことが大切というわけです。それは、第35話で述べられている〝自己観照〟ということを実際に事業経営の中で実践活用している一つの例といえるのではないでしょうか。

 


第35話 自己観照

 

 私はこの経営者といたしまして、非常に大事なことは何かというと、自己観照と申しますか、自分を知るということだと思うんです。今日いろいろ問題がたくさんおこっておりまする経営というものを検討いたしますると、全部自己の認識不足からおこってますね。

 

 自分が今、百人を擁している会社の経営者である。そしてこの百人を擁した会社の、このもっている今の力がどのくらいあるんかということの、たえざる観照と申しますか、たえざる認識というものを、私は怠ってはならないと思うんです。そうしてその力の適正化というもの、その適正力と申しますか、そういうものを知りまして、その適正に見合った範囲内の仕事をいたしたならば、どんなに風が吹いてまいりましても、どんなに急変いたしましても、私は命取りにはならないと思うんであります。しかし、自分の力の範囲を知らずしてこれでいいと思うて三倍の仕事をする。三倍自分でできるんだと言うて、三倍仕事した場合には、これは行きづまるだろうと思うんです。

 

 そうでありますから、私はお互いによりよき社会をつくるためには、よりよき業界をつくるためには何が必要であるかというと、たくさんありましょうが、その一つには、自分の力の判定というもの、自分の会社の総合力の判定というものを誤ってはならんかと思うんであります。たえずそういうような力の判定を測定しつつ仕事をしていったならば、私はこれは国家にいたしましても個人の力にいたしましても、経営にいたしましても、またそれぞれの会社の経営にいたしましても、決してあやまちないだろうというような感じをいたしております。

 

(昭和39.7.24)

 

 みずからの力を適正につかみ、その範囲に見合った仕事をしている限り、どんな嵐が吹いても、事態が急変しても、決して命取りにはならない、ということですが、人はとかく順境においては、みずからの力を過大に評価しがちです。その意味では、拡大発展している時こそ、念入りな自己観照が必要ということでしょう。


第34話 私の初商売

 

 これは私の一つの事例を申しあげまするが、私は十五歳の年に奉公しておりまして、数え年十五歳でありますから(満で)十三歳であります。まあ中学校の一年生ぐらいの年格好だと思うんでありますが、自転車屋に奉公しておりまして、お得意先から「自転車をば買いたいから見本もって来い」ということでありました。番頭さんがいつも行ってやるんでありまするが、そのときちょうど番頭さんがおらなかったんでー私はそのとき幸吉と言うておりましたー「幸吉、お前この自転車もって行け」と言うて親方さんに命じられたんであります。私は当時自分で、単独で一台の自転車を売ってみたいという欲望をもっておった、望みを持っておったんです。

 

 それで私は非常に勇躍、よし自分がもって行って売ってやろう、とこうなりました。で、お得意へもって行ったんであります。私は子供ながらもですね、その自転車の性能、価格、そういうものを熱心に話したわけです。まったく美少年ですもんな、ぼくは、その時分は(笑)。それでその先方のご主人が私の説明をじっと聞いていたんですね。私はそういう望みがあるから一生懸命ですわ。どういうところに気に入ったか知りませんが、たってまいりまして、私の頭なでてくるんです。「きみはかわいいぼんさんやな」というようなもんです。「いやわかった、買ってやろう」と、こうなったんです。これは夢みたいなもんです、ほんとうは。「買ってくださいますか」「そのかわり一割負けとけ」とこう言うんです。それで一割負けてるということはあるんです。実際うちの店でも。で、私はもう一割も一ぺんに負けられませんとはよう言わなんだ。「承知いたしました。(帰って)そう申します」と言うて帰ってきた。非常にまあ喜んで、一割も負けて売っている場合もたくさんあることを知っていますから、これで完全に売れた。帰って親方にそう言った。「売ってきました。一割負けて売ってきました」「どういうことでや」「こうこうで」「そんなことあかんやないか」「なんでんねん」「初めから一ぺんに一割負けるというそんなことあるか。初めは五分負ける、こう言うんや。これが商法や。もう一ぺん行って来い」と、こう言うんです(笑)。ところが私は不思議にですね、〝それはそうだ、親方さんのおっしゃることはそうや〟と思って、もう一ぺん行きゃなんでもないんですけれども、何だかそれが悲しかったんです。それからしくしく泣きかけたわけです、早く言うと。とうとう返事がおくれた。先方がまあ非常に急いでおったんで、もこうの番頭さんが来て「一向返事ないがどうや」とこうなった。そうすると親方が「幸吉はあんたの番頭か、うちの番頭かわかりまへん。負けてあげてくれって泣きよりまんねん」こういうことです。それで番頭さんが帰ってですね、「あのぼんさんね、負けてあげてくれと親方に泣いて訴えてまんねん」こうなったんです。それでまたその先方の主人公というのは非常にそれに感動しましてね。「いやそんなんやったら五分引きで買うたれ」ということになった。それでまあそれは売れたんです。まあ何というかおかしなもんですね、物売るというのは。その時にその先方のご主人が「きみはなかなか熱心な男や。感心した。だからおまえがこの店におる間、自転車はどっこからも買わん。おまえの店で買うてやる」とこう言う。大変な、自転車一台売れただけでもよろしいのにね、永遠におまえがいる限り買うてやるというんですからね。これは偉大な成果ですわ、早く言うと。

 

 そのことを私は考えてみまするとですね、これは事実実験したことです。値段の適正ということはまことに大事であるが、それ以上に大事なものは何かというと、一生懸命に売りたいという熱意から生まれるいろいろの姿であると私は思うんです。その姿に人は感動する。単にかけ引きであるとか何とかそういうようなことでは偉大な仕事というものは生まれないと思うんです。心の琴線に触れるような真心のこもった行動においてこそ私は一切を超越してものが生まれてくるというふうに感じるんであります。

 

(昭和37.4.9)

 

 真心のこもった一生懸命の行動の中にこそ周囲の人を感動させ、仕事を成功に導く基本がある。それは言うなれば、ごくあたり前のことと考えられます。しかし、実際にいついかなる場合にも、誠心誠意、一生懸命事にあたっているでしょうか。日々の実践の大切さを改めて感じさせられます。

 

第33話 好きになる

 

 私は、経営者として成功する、そのコツをつかむということを申しましたが、成功するということは、経営者が好きであるか、好きでないかということが、まず第一である。まあ、いろんな経営体があるけれども、そのことが好きでたまらないということが、コツをつかむか、つかまないかという一つの一要素になると思うんですね。

 

 経営が好きだということでないと、私は経営者としては、非常にその人もつらいだろうと思うし、また端にも影響することが多いし、部下も育たないし、成果も上がらない、そして自分は苦しんでいると、こうなるから、好きになってもらいたい。好きになることができなかったら、「いかん、どうも私は自分は不適任だと思う。経営には、不適任だと思う。こういう仕事は、ぼくは適任やと思う。けれども、経営者には私は向かんように思う」ということは、これは勇気をもってぼくは申し出てもらいたいと思う。端からはわからんから、その人の腹の中に入って中から見ることはむずかしいから、本人の申し出によって、「ああそうかなぁ、あんたは経営に向くと思ったけども、あんた自身でそう思うんやったら、そりゃつらかったやろう、じゃきみ、どういう仕事が好きや」「こういう仕事と、こういう仕事と、こういう仕事やったら自分はやってみせる。そしたら会社のためにもなる」「そうやったらきみ、そういうように考え直そうか」というて相談したらいいと思う。

 

 で、好きですからというんやったらね、「好きやったらきみ、勉強したまえ、きっときみは立派な経営者になれる。またきみのもとから人も育っていくだろう。また技術者の人もどんどんと仕事しやすくなっていくだろう。したがって技術が伸びていくだろう」こういうことに私はなると思うんです。これはもう何の商売でもそうやと思うんですね。これは昔から〝好きこそものの上手なれ〟と言うとるから、これはやはり哲理やと思うんですね。この哲理に従って、われわれはやっぱり仕事をしていこうと思うんですね。

 

(昭和47.12.15)

 

 昔からの諺に言う〝好きこそものの上手なれ〟ということは、商売、経営にもあてはまる哲理である、と松下幸之助氏は言い切っています。自分の仕事がほんとうに好きであってこそ、新たな創意工夫も次つぎに生まれ、力強い信念、行動も生まれて、成功への道を歩むことができるということでしょう。

 

 そして、自分の仕事がほんとうに好きだという状態は、言い換えれば、みずからの仕事をいわばわが天職と感じている姿と言えるのではないでしょうか。


第32話 経営のコツを自得する

 

 人格があり、学問があり、知識があり、いろんな点がそなわっている、一点の非のうちどころがないという人であっても、経営者として成功するかというと、私はそれは成功しないと(思う。)加うるに経営のコツとでも言いますか、そういうものをつかめない人は、これはぼくはダメだと思うんです、実際はね。

 

 だから、やはりその経営のコツというものは、非常に私はむずかしいもんやないかと思うんです。これは口では言えないあるものがあるんやないか。それはやはり、自分で悟らないかん。まあ学問を勉強するということによってですね、教える先生もある。学問は、努力することによってある程度成り立つ。しかし経営というものは、これはちょっとまた、そういう知識とか、そういうもんと違うと私は思うんです。言うに言われない一つのツボがあるんやないかと思うんですね。そのツボが悟れなくちゃならない。 

 

 その悟り方も、経営のコツというものは、一色かというと一人ひとりによってみな違う。だから、その経営のコツというものでも、千種も万種もあると私は思うんですね。松下は、経営のコツはこういうように解釈している。こういうもんだということを、かりに自分でもある程度会得したとする。しかし山本という人は、経営のコツというものを悟っているけれども、その悟り方と、松下の悟り方は違うわけである。しかし、どちらもそれで成功するかもしれない。だから、非常にむずかしいもんだと私は思う。まあ複雑なもんである。人びとによって経営についての悟り方がみな違う。違っていいんだ、違うべきもんだと、こう思うんですね。 

 

  しかし、科学なら科学というもんとか、私はまあ科学者でも何でもないし、わからんけどね、そういうものは、つまり、Aの人も甲の人も、方程式はちゃんと決まっているわけである。だから、それを勉強すれば、それを理解する力があれば、ある程度の数学者になれるわけである。

 

 けれども、経営のコツというものは、そういう方程式がないわけである。ある程度あってもですね、それ以上はもうつまり五里霧中である。みずからによって悟るよりしゃあない。こういうようなもんやないか、という感じがするんです。

 

(昭和47.12.15)

 

〝経営のコツここなりと気づいた価値は百万両〟  この経営のコツというものは教えるに教えられず習うに習えない、結局それぞれに悟るしかないというのですが、だからこそそれを自得することの価値はきわめて大きいというわけです。

 

第31話  二軒のぜんざい屋 

 

 人間というものは、とかく自分のすることが正しいというような見方によく陥るもんであります。で、商店の経営でも、自分の商店の経営は正しいんだという考えに陥る場合があります。しかし、その商店は発展しない。はなはだしいのにいたっては、自分のやっていることは正しいけれども、買うお客さんがたがまちがっているんだ、だから、自分のものを買ってくれんとよそのものを買うんだ、だから、うちは発展しないんだというようなことを考える人があるかもしれない。で、そういう考えは、これは失敗であります。

 

 しかし、自分の店がはやらない、お客が来ない、どこに原因があるんだろうか、品物が悪いんであろうか、サービスが悪いんであろうか、自分の勉強が足りないんであろうか、設備の仕方がまずいんであろうかと、いろいろ考えてみてですね、そして、他と比較して、なるほど、こういう点がまずかったということを気づいたという商店はですね、逐次客を集めるということが、私はできるんだろうと思うんです。

 

 同じ千日前に、ぜんざい屋がまあ、二軒あったとします。同じぜんざい(屋)をやっているんだから、同じように場所がら繁栄しなくちゃならんと思いますけれども、一軒のぜんざい屋はつねにお客さんが満員である。一軒のぜんざい屋は、そのあおりだけをもらっているというようなことも実際にあります。で、どういうわけかというと、今申しましたようなことに、私はなっていると思うんですね。だから、ぜんざい屋さんにいたしましても、どうすれば客が喜ぶようなぜんざいをつくることができるかというような(ことを考える)熱心な店主であるならば、私はやはり、多数の人に喜ばれるようなぜんざい、その味というものが、発見できると思うんです。で、そういう店は必ず発展できると思うんです。うどん屋、またしかりであります。

 

 しかし、そういうことしない、まあ、このぐらいでよかろう、というようにやっているぜんざい屋さん、うどん屋さんは、私はやはり人気がなくなるんだろうと思うんです。全身全霊を打ち込んでですね、自分の仕事にまあ、生命をかけると申しますと少しオーバーな言い方かもしれませんが、そういうところに喜びを感じるような商店の経営者というものは、私は成功していくと思うんです。

 

(昭和41.3.5)

 

 店の主人が、どうすればお客様が喜ぶようなぜんざいをつくれるかということに真剣に取り組み、そこに喜びを感じている。そういうぜんざい屋は必ず成功するというのです。 

 

  商店にしても企業にしても、事業というものは、世の人びとの求めがあってこそ成り立つもの。したがって、その求めに正しく応えて、人びとのお役にたつことこそ、商売を発展させ、事業を成功に導く基本だということでしょう。


第30話 真の勇気 

 

 会社を経営するにつきましてはですね、私はやっぱり、ある勇気というものが必要やと思うんですね。国の経営をするについてもですね、やはりその衝に当たる人はですね、非常に勇猛の士でないといかん、やはり勇気のない人であったらあかんと、こういうように私は思うんであります。会社の経営者もやっぱり勇気が必要である。しかし、その勇気というものはどんなものかということを考えてみんとあかんですね。勇気というものは、個人的にもって生まれた勇気のある人もありますし、非常に気の弱い勇気のない人もありますわな、これは。しかし、ほんとうに会社を経営するについて、あることを断行するということに対する勇気というものは、もっと違ったところから勇気が出てくるんじゃないかという感じがするんです。その人が気が弱いから勇気がないとか、その人が気が強くて、もって生まれたある程度の勇気があるということで、ある一つのことを断行するというものではないと私は思うんですね。ほんとうの勇気というものは〝何が正しいか〟というところから生まれるもんやと思うんですね。だから、かりに個人的には非常に勇気もない、気も小さい、気も弱いという人がありましても、これはどうしても行かなくちゃならん。会社のために、従業員のために、お得意先のためにこれはどうしても行わないかん。こういうことは許されないとこう感じた時に、いかに気の弱い人であっても私は勇気が出ると思うんですね。そういう勇気は真の勇気につながるんであって、事が成就するという感じがするんであります。

 

 だから、会社の改革をせなならんとか何とかいう時、自分のために会社の改革ということであったら、もうとても私は勇気はないと思うんです。なんぼ気の強い人でも勇気はどこか弱いと思うんです。しかし、この改革はしなくてはならない。この改革は、自分は別として、この会社のために、従業員のために、さらに多くは広い世間のためにこれは改革しなくてはならない、ということを考えた場合には、それを断行する勇気というものは非常に力強くわいてくるものだと思うんですね。ほんとうの勇気というのは、そういうところに根ざさない限りはほんとうの勇気というものはわからないと私は思うんですね。

 

(昭和44.10.29)

 

 松下幸之助氏は、みずからの歩んできた足跡をふりかえりながら、「自分は生来、どちらかといえば気の弱い方であるが、いわゆる〝錦の御旗〟をもったときには非常に強かった」と述懐しています。この錦の御旗とは、何が正しいかということに基づく経営者としての信念であり、使命感であるということです。そういうものをもった時に、〝千万人といえども我ゆかん〟のほんとうに強い勇気がわくというのです。

 

 そのような錦の御旗を根底にもち、素直な心を養い高めながら刻々におこってくる事態に対処するということこそ、経営者の決断の心得の基本であるということではないでしょうか。

 

第29話 素直な心

 

 素直というのはですね、ただおとなしいという意味じゃありません。素直な心というものは、ものの実相を見出すことができる心になろうと思うんであります。素直な心がなければですね、ほんとうの強さというものはないもであります。そういうことで、松下電器の会社の経営方針というものは、素直な精神をもって経営していこうと。素直な精神をもって経営をしていけばですね、社会の実相というものはよく見えると思うんであります。そこで、非常にすぐれたものをつかむことができる。邪心をもってものごとを見るとですね、やはり、いろんなものにとらわれてほんとうの姿を見失うと思うんであります。それではいけないのである。だから、われわれはつねに、何が正しいかということを考えつつ仕事を進めますが、その根底をなすものは素直な心でものを見ようと。言いかえますと、白は白というように見えるように、青は青と見えるように、黒は黒と見えるように素直にものを見ていこうと、こういうことであります。そうするとですね、白を黄色に見たり、赤色に見たりするようなことはなかろうと思いますから、判断にあやまちがないと思うんであります。そうですから、素直な精神というものは強く、正しく、聡明に相成なる。そういう精神、心があればですね、強くなる。聡明になっていく。だから、実相がわかるんだ、こういうことであります。

 

 今日、産業界は国と国とのですね、経済の上に競争がございます。国内は国内で競争がございます。で、競争あることによって、人びとは勉強し、進歩を生み出して向上発展するんでありますから、これはこれで、私は立派なもんやと思うんであります。しかし、この競争をするにあたりまして、素直な心がないと、ものの実相をつかめないからスカタンをするわけであります。誤った考えを盛り上げることになります。そこにあやまちがありまして、競争に負けるということになります。競争に勝つことができないということになります。

 

(昭和43.10.24)

 

 素直といえば、一般的には、何事にもさからわない、おとなしく従順な姿を思い浮かべます。しかし松下幸之助氏のいう素直な心とは、決してそのようなものではなく何ものにもとらわれない心、真理に対して従順である心のことだと言います。そうした素直な心を養い高めることによって、ものごとの真実に即したあやまちのない決断ができるようになるというわけです。

 

 松下幸之助氏は、この素直な心がほんとうに高まれば、その人の判断は、あたかも神のごとくいつも正しいものになるとまで言っています。そういう姿を目ざして毎日、素直な心になろうと努めるところに、経営者としての大切な姿勢があるということでしょう。


第28話 引き下がる決断


 今まで、この歴史の上で失敗をみてみますと、ひくべき時によう引いてないんですね、進むべき時に進んでないんですね、早く言えば。優柔不断で。そういう時には必ず失敗に結びついている。あるいは大きく言えば国をつぶしたりですね、あるいは国をまたおこしてますね。進むべき時に進みですね、引くべき時に引くというような状態に終始している場合はですね、国を預かっている人は、国をおこしてますね。そういうことだと思うんですから、これは人間として非常に大事な問題だと思うんです。それはどうして養うかということはですね、これは一言にして言えない。やっぱりその人の持ち味なり、その人の修業なりですね、これは今やめてもですね、他に迷惑かけない(とか)、いろいろまあ、ありますわね。そういうことを考えた結果、これをやらない方がいいとなった場合にね、それがために一時的に信用があるかわからない。けれども何もかもですね、痛手を被らずしてそれをやめてしまうというようなことは、神さんであればできますかしれませんが、人間はできないと思うんですね。

 

 ある病気になりましてですね、この病気を薬も飲まず、手術もせずにね、治したいということはこれは人間の望み、願いでありましょうけれども、実際はできないですね。薬を飲むか、医者にかかるか、あるいはこれを切り取るかせなならん。そういうようなものをなしにして治すということはですね、なかなかむずかしいわけです。
 そうですから、何かやはりそこに一つの犠牲というものがある。その犠牲をですね、やはり承認しなければならんかとおもうんですね。それを承認することによってですね、それが切り取ることができる、あるいは閉鎖することができるということであればですね、これはやったらいいんやないかと思うんですね。

 

(昭和43.8.6)

 

 山登りで道をまちがえた時には、まちがえたと気づいた時にすぐ引き返すことが大切、とよく言われます。何とかなるだろうと歩き続けているうちに完全に道を見失い大事を招くことになるというのです。 事業経営においても、あやまちと気づいた時には、周囲に思惑などにとらわれず、時をあやまたず引下がる決断ができるかどうか。そこにもまた、経営者としての大切な要件の一つがあるのではないでしょうか。


第27話 技術の進歩と決断


 この間もあるところで新聞記者会見をやりまして、いろいろな問題が出ましたが、ある新聞記者の質問が出ました時にね、科学とね、科学知識というものが非常に高まってきた、だから経営者というものは科学知識がなくしてやれなくなりはしないかどうかという問題が出て、私に質問があったんですよ。それで私はね、「それはあなたが言うとおり常識的にはそうだ。科学者であって経営者(である)ということは一番鬼に金棒であるからね、そういうことが望ましいと思う。しかし、それは一応常識的にそう考えていいけれどもね、しかし経営というものは、だんだん大きくなってくるとね、両方兼ねるということは私はむずかしいと思う。まあ、ある規模の間はそれでよろしいでしょう。しかしだんだん規模が大きくなってくるとね、科学者であってもですね、科学を捨てるという必要がありはしないかと思うのです。あるいはそれと同じことがですね、一方に経営者ということも、言いかえると経営学ということも捨てる必要があるかわからない。そうしてですね、ほんとうの経営というものはどこにあるのかということを考えてみる。そうせんと事が小さいですな」と私は言うたわけです。

 

(昭和42.11.28)

 

 科学者であると同時に経営者である、ということになれば、いわゆる鬼に金棒。しかし、たとえ技術に関する知識は乏しくても、経営者として何を考えるべきかという点にしっかりとしたものをもっていれば、それで十分に仕事を進めていくことができる。そう松下幸之助氏は言っています。これもまた常識にとらわれない、現実に即した一つの見方と言えましょう。


第26話 電子計算機の使用をやめた話


 最近、電子計算機というものを使っておるんですね、会社もね。相当まあこれには費用がいるんです。まあ費用いることは、利益に結びつくものであれば、費用いるほどいいんです、ほんとはね。ところが営業本部長室に行きましたら、毎日、全国の売上げが朝集まるのですね、電子計算機がありますから。各支店にも置いてあるわけですね。非常に便利がいいのです。「これきみ、なんぼいるねん」と私は尋ねたのです。「これ三百六十万円いりまんねん、費用」。会社の電子計算機センターに三百六十万円払うておるわけですね。同じ会社(内のセンター)に払うておるんです。

 

 私は、これはね、「あすからやめ」と言ったのです。「これはね、なるほど朝、売上げ計が集まって結構なようであるけれどね、諸君はこれを生かしてへんやないか。朝こういうものが集まったため昼からこういう手を打つという会社ならばね、これやれ、必ず生きる。(しかし)うちはもうそんなことをせんでも五日目に集計をとっていることによって十分に対策がたてられるはずや。五日目に集まってくる対策すらもたてない連中がやね、毎日集まって何をするか(笑)。だから、もうこれは中止や」と、こう言うたのですよ。それにはみな弱ってね、「せっかくやってまんのに」「いや、せっかくでもあかん、必要ないことは一切やらない」。なぜか言うと、これはみなお客さんにつながってんのや、客の買価につながるんだ、こういうことは。許されない。ぼくのふところが少なくなるんやったら我慢する。しかし、顧客にこれはつながるんだ、この費用というものは。だから「やめ」とやめさしたのですよ。

 

 まあ正直なところを言うと、わが国のですね、政治といわず、経済といわず、私はそういうような点があるのではないかという感じがします。

 

(昭和40.2.11)

 

 松下幸之助氏は、電子計算機の効用そのものを否定しているのではありません。現に松下電器では、さまざまな分野において電子計算機が縦横に駆使されています。しかしそれはあくまでもその働きが十分に生かされるところに限る、というわけです。 一般的な常識にとらわれず、事の本質をズバリ見抜いてどうあるべきかを考えるところから、誰もが納得し得る決断が生まれてくるということでなないでしょうか。


第25話 非常時の決断

 

 今日、世論に従うということがありますわな。世論というものは、大事なもんである。政治家といえども世論に抗することはできない。だから世論に従っていけばまちがいないということは、これは、平時にあっては私はそうやと思うんですね。しかし、信長が桶狭間の戦いの時には、あれは世論に反したんですよ。(六千の兵で五万の大軍とどう戦ったか?を述べられています。)

 

 そういうことを一人例にとってみても、やはり経営者というものは、おおむね世論に従う。世論の上にたって、采配をふるっていくことはよろしい。しかし時には世論に反してやるということが必要やということですな、早く言えば。それが、見えるか見えんかという問題ですな。これは非常に私、大事な問題だと思うんですね。これは非常にまあ、わかってわからんような話をするようですけどね。だから、われわれは平時にあっては、世論に反して行動するということもですね、それは生きる道であるということも、あり得るということですね。だから、その時にたって、やはりものを考えないけない。そのものを考え、決しなならん、その決することをようやらん者は、私は経営者としてはあかんと思うんですね。で、経営者というものは、どういうことかと言うたら、決することだけですよ。

 

(昭和42.12.7)

 

 世間の常識というものは、過去、現在の幾多の人びとの体験や知恵に基づいて生み出されたものであり、多くの真理を含んでいます。ですから常識に従っていれば、おおむねまちがいは少ない。しかし、大事に直面した場合には、時にその常識を超える発想が求められるというのです。 常識を尊重しつつも、同時にそれにとらわれない柔軟さと高い見識をもつ。それはきびしい経済環境に刻々に対処していかなければならない現代の経営者にとって、欠くことのできない要件とも言えるのではないでしょうか。

 

第24話 小事と大事と 

 

 小事はですね、小さい事はですね、これはもう人と相談せんと独断専行させたらいいということでしょうね。しかし大事はですね、人と相談しなくちゃあならない。独断専行はいけない。同時に小事は利害をもって是非を決めたらいい。利害得失をもって事を決定したらいいと思います。しかし大事はですね、利害得失をもって事を決してはいかんという感じがします。大事はそれじゃ何をもって決定するのか。大事は利害を超越してですね、何が正しいかということですね、ものを決定しなくてはならない。私はまあそういうように感じとるんです。

 

 まあ、会社の個々の仕事につきましてはですね、各自が各自でもう独断専行でやっていったらいいと思うんです。しかし、大事を決行するという時には、これは社長一人で事を決めるということは許されない。やはり幹部とよく相談して事を決めないかん。そしてその事を決めるにあたっては、利害得失で事を決めるということは、それは小事の事であってですね、つねに日ごろの事であって、非常に大きな大事はですね、利害得失でものを考えてはならない。会社といえども、国家といえども、個人といえどもですね、これは非常に大きなる問題である、大事な問題であるということは、利害を超越してですね、何が正しいかという観点で事を決しなくてはならん、というようなまあ感じをするんであります。

 

 これはなかなかまあ抽象的なことで、具体的にはむずかしい問題だと思いますが、しかし理念としてはそういう理念をもってなならんかと思うんであります。

 

(昭和43.2.23)

 

 小事は利害得失に基づいて独断専行してもいいが、大事は何が正しいかに基づいて衆知を集めて決定しなければならない⇒それは、長年の体験に裏打ちされたきわめて実践的、実際的な決断の基準といえましょう。 しかし、そうは言うものの、何が小事で何が大事かということの見きわめがまた大切です。それを的確に判断してこそ見識ある経営者、ということになるのではないでしょうか。


第23話 迷いと判断

 

 世間では私のことをワンマンとか何とか言うて、言う人がございます。あるいは、形はワンマンのような形であるかもしれないけれども、私の心は決して私はワンマンでないと思うんであります。また時々刻々、迷いというものがついて回ります。その迷いの時に、自分は自分で判断いたします。なるべく素直に判断しようということを自分は心がけてまいりました。そして、この仕事はしてもいい仕事だ、とこういうように自分は考える。そして非常にこれに対して確信がもてた時にはですよ、これは私は幹部の人に話をして、「こういうようにやりたいと思う、まちがいがないと自分は思うが、諸君はどうか」とこう言う。すると「いやぁ、それは社長結構ですな。私は非常にそれは賛成だ、成功するように思います」「きみらもそう思うか。わしもそう実は思うとるんだ。それには今資金がこういうふうにある。またそれをやるに人もこういうように育ってきている。だからやろう」(それで)まあやってきたわけです。これが成功したんであります。

 

 しかし、そういうように成功したものもありますが、時には、自分はやりたい、やりたいと思うけれども、それだけの力があるのかな、どうかなということが自分で判断がつかんことがございます。これはみなさんも私はおありだろうと思うのです。その時に自分はどうしたかというと、自分で判断がつかんことは、きわめて簡単であります。他に聞くことであります。いわゆる先輩と言いまするか、あるいは同業者やのうてもですね、第三者に自分はすっかり打ち明けて「今こういうことで自分は迷っておるんだ。あんたであればどう思うか」とこう尋ねるんです。「それは松下君、あかんで」「そら松下君、きみの力やったらやれる」まあいろいろ言うてくれます。

 

 その時にピシッと自分が納得できたら、そのとおりやります。納得できない場合は、また他に人を求めて私は聞いてみます。また違った立場で「そりゃ松下君、こうだ」とこう言う。そうしてその二人ともですね、非常に賛成したことになったならば、私はこれを多少の危険があってもやります。しかし二人とも反対であればですね、やりたいなと思っても「これはやめよう」と言うて、私はやめて、それはまた時節を待とうということで、一年なり二年なり延ばした。そういうことを自分は何回かやりつつ、だんだんと大きくなってきたのであります。

 

(昭和38.2.21)

 

 経営者としてつねに確信のもてる決断が下せるならば大いに結構なことですが、実際には自分では判断がつかないということもあります。そういう時には、自分の得心のいくまで他人の意見を求める、というわけですが、そのためにはやはりふだんから信頼のできる相談相手をつくっておくことが大切といえましょう。

 


第22話 専門家としての決断

 

 まあ専門家ということばがありますが、専門家というもの、かりに訳すならばその専門の仕事についてですね、神のごとき裁断が下されるということであると思うんです。そこではじめて専門家ということがいえると思うんです。ところが専門家が専門の自分の担当する仕事に対して迷いがおこる。あれやない、これやないというてるようなことであれば、これは専門家ということは言えないんだ。ある程度のそういうことに対して知識はもっているが、専門家じゃない。専門家というものは、直ちにつねにそれに対しては是非の決定ができるというようになってはじめて専門家と、こういうように言えるんやないかと思うんです。

 

 そうしますると、経営専門家というものはどういうことかというと、経営的に東せんか西せんかという時に、それは東すべきである、それは西すべきである、西すればこうなっていくし東すればこうなっていくということが直ちに判定されまして、それを決定するということが必要であるし、それができないということでは、私はそれはいけないと思うんです。ところが、決定しなくちゃならんから、わからんけれども、どっちかに決定しとくというんであれば、これは無茶苦茶ということである。これは決定しない方がいい。経営の専門家というものは私はそういうもんだと思うんです。

 

(昭和37.5.5)

 

 〝経営者が経営の専門家としてたつ限りは、正しい是非の決断が、ことごとにしかも速くできなければならない。右せんか左せんかの岐路にたって迷うというようなことでは専門家とはいえない〟というまことにきびしい話です。しかし経営者の決断が事業経営の運命を左右する一つの大きな要因であることからすれば、そうしたきびしさもまた一面当然と言えるのではないでしょうか。


第21話 決断してこそ経営者

 

 だいぶ前の話ですけども、キューバにフルシチョフが、ソビエトの基地をつくりましたね。90%余りでき上がったわけですね。その時にケネディはどういうことを言うたかというと、「キュウバに基地をつくられるということはアメリカとしては困る。だからあれを引きあげてもらいたい。もし何日までに引きあげてもらわなかったならば、アメリカはみずからこれをば撤去いたします」ということを一言言うたわけですね。そうすると一兵も使わずしてその基地は撤回されたわけでっすね。これはみなさんもご承知のとおりのことであります。

 

 これは断の一言でしょうな。ケネディは、そういうところに基地をつくられることはアメリカとしては我慢ならざることである。これはそういうことを申し入れて、そういうことが実行されねばアメリカの実力によって撤去いたします。ただそれだけです。それを言うことによって一弾も一兵も使わずしてキューバの基地が撤去されたわけですね。もしそういうことを言わなかったならばですね、「何とかしてもらえませんやろか、困りますよ」と、こういうようなことを言っておったら、そのうちできてしまうということになると思うのです。

 

 私は、国家の経営者にいたしましても、会社の経営者にいたしましてもね、最高の経営者というものは、何が正しいかということを考えて、損得を超越して断を下すべきものだと思うのですね。その断に基づいて具体的にどうやるべきかということは、それは技術者であるとか、あるいは経営の衝に当たる人であるとか、まあ軍師であるとか、やるべきだと思うのですね。国家の最高経営者というものは、断を下すだけである。それを合理的に、最も経済的にやるのはですね、それはその下の専門の衝に当たる人がやったらよいわけです。そういう人がいかに充実していても断を下す人がなかったならばだめでですね。これは古今東西に、すべてそういうことを物語っていますね。

 

 われわれ経営者というものはですね、あるいは団体の長というものはね、何が正しいかということを利害を超越して下し得る人でなければならないですね。

 

(昭和42.11.28)

 

 何か事がおこった場合、断を下すべき立場にある人が、躊躇逡巡したり右顧左眄したりの優柔不断な態度をとるならば、事態はますます悪化するばかりでしょう。そして事態の悪化におされてやむを得ず決断した時には〝時すでに遅し〟ということになりかねません。
 ですから、事業経営における経営者も、事に臨んで、つねに何が正しいかを見きわめつつ、的確に断を下し得る人でなければならないというわけです。


第20話 片手に商売 片手に政治

 

 ・・・・・敗戦当時の苦労、特に当時一万五千人の従業員を抱え、片手にハンマーをもち、あわせてソロバンをもって、日本の復興に取り掛かり、そして片手にはあすの食糧を探した。その結果、日本人の本来の素質と日本の伝統に生きる精神がよりどころとなって、日本は発展したと戦後の復興を語られました。

 

 しかし、今日はですね、私は再び考えねばならないような時代がきたと思うんです。今日も片手でソロバンをもち、片手でハンマーをもって、生産を増強する。あるいはまた、生産に関係ない人も、あるいは絵筆をもって活動する、ということは終戦後とちっとも変わりがないと思うんです。しかし片手で食糧を求めるということは変わってきたと思うんです。これはもう食糧は十分に行きわたった。着るものも十分行きわたった。だから、その心配はないから、片手で食糧をあさって、片手で絵筆やソロバンをもつということはもう必要がなくなった。しからば、片手では何をやらないかんかというとですね、私は今日は、政治につきましていかにあるべきかということを、われわれがしっかりと取り組まなくてはならない時代がきていると思うんです。二十年前は片手で食糧をあさったが、今日は片手で日本の政治はどうあるべきかということを、国民としてですね、国家の主権者として、真剣に考える時がきているとこう思うんです。ところがそういうことに対して、国民がどれほど真剣であるかということです。あすの生命には関係ないが、長い日本の生命、長いお互いの生命に大きな関係のある政治というものに対しては、ほとんど顧みないというような状態が今、日本国民の姿やないかという感じがいたします。そういうところにですね、日本の政治が非常にまあ貧困と申してはお叱りを被るかもわかりませんが、そういうことになってきているんやないかという感じがいたします。

 

 まあ、そういうことを考えてみますると、今日はわれわれは伝統の日本の精神というものをはっきりと胸に養うと同時にですね、商売を熱心にやると同時に、政治に対しましては主権者としての責任自覚というものをもたなくてはならないと思うんです。政治はどうせ政治家がやるんだから、われわれは商売さえ熱心にしておったらそれでいいんだ、ということは許されない時代だと私は思うんであります。

 

(昭和41.12.12)


第19話 社長は心配役

 

 とにかく社長というものはね、心配する役なんです、早く言えばね。小さい心配は課長がやれ、さらにちょっと大きな心配は部長がやれ、これは大変なという心配は社長が心配せないかん。そのために社長は給料一番高いんだ。まあ心配料みたいなもんや、早く言うとね。それなのに、社長に言わんとことかなんとか言うて、何も私の耳に入れんと工夫してると、だんだんと失敗が大きくなるわけですね。そういう場合があります。これはみなさんも経験しておられる。だから、私はどんなことでも心配のあるものは、これは心配やと思うことはみんな社長に。社長がそのために心配で死んだかてね、それは名誉の戦死やないかと思います(笑)、早く言えば。心配するために存在しているんです。社長が毎日ゴルフ行って、遊んでのんきにやっているというようなことはね、それは大昔の封建時代ならばともかくですね、今日はそういう役によって、みんな責任がついてまわる。だから、いかんことを心配する、そういうことは全部社長が聞くんだ、それを社長が処理するんだ。それができなければ社長辞職せなしゃあない。だから「私に言うてくれ、心配言うてこい、心配ないことは言わんでもええ、あとでもええ」こういうように私言うてるんですけども、そういうことを言うてくれたら、やっぱりその日わしは飯もおいしくおまへんわ、実際言うと。だから、なるべく言わんとこ、心配かけんとこ、とこういうんですけども、しかしまあ、その晩はおもしろくなくても、あしたになれば、よし、あれをこう考えてやろ、ということで、勇気が非常に出てくるわけです。そうするとまた知恵が出てくるんですね。やろうという時には知恵が出てくるわけです。

 

 だからまあ、早く言えば、ある一つの失敗した、失敗したからあの人に顔合わせない、まあいう場合がありますわな。それも一つの見方ですね。思わない失敗してあの人に迷惑かけた、これは叱られるなと、まあ、いうことになりますけども、そんなんやったらなかなかこれおもしろおまへんわな。これは失敗した、これは大変や。しかし、この失敗したことによって、あの人にこういう話ができる機会をつかんだ。自分の心情を訴える機会ができた。これは非常にええ機会や、早く言えばね。失敗も何もせんのにですね、その話しとったら普通の話しかできない。大失敗して大迷惑かけた、彼は非常に怒っているだろう、ということですわ。この時こそ、ほんとうのことを話できるんだ、縁が結ばれるんだと、こういうことも私は言えると思うんですな、早く言えば。それでその失敗ということが転機となって、その人と手を握ることになる。自分というものをほんとうに知ってもらう。自分の、要する人間というものを知ってもらうという機会がつかめるということが私はあると思うんですね、早く言えば。

 

 そういうようにですね、まあ、経営者としてはですね、私はいろいろやっぱり考えてですね、勇気を持ってやらないかん、その勇気をもってやるというところに私は経営者としての責任がある(と考えるのです)。

 

(昭和35.11.20)

 

 〝心配するからこそ社長の存在意義がある〟〝失敗するからこそ大きな縁が結ばれる〟という松下幸之助氏のこの考え方には、賛同共鳴される方も少なくないことでしょう。〝責任が重く大きいからこそ、やりがい、生きがいも大きい。自分はそう考えてみずからを励ましつつ経営者としての責任を遂行するよう努めてきた〟松下幸之助氏は折にふれてそう述懐しています。


第18話 部下の力を引き出す

 

 自分みずから力をもつということもまことに結構であるが、さらに結構なことは、やはり多数の部下の人に十分な仕事を与えてですね、そしてその人たちの力を十分に発揮するようにですね、ただ単に無責任に与えるというようになると、失敗したりする場合がたくさんありますから、無責任に与えることは、これはやはり勘案せなならんですけれども、しかし、その人のその部下のもつ力をできるだけ発揮させて、仕事を与えていくようにですね、それを見守っていくというようなやり方ですね。これはまあ、仕事の大きな部門をもつ人ほど、私はそれが必要やないかと思うんです。

 

 みずから力があるから、もう端に任せておくとしんきくさいからというて自分が引き取ってやるという人がありますけど、これはもう結論においては、その人の実力いっぱいの仕事しかできない。多数の大きな力というものは、これはなんと言うたかて大きなもんですから、そいつを伸ばすためには部下の人に一つくさらないように仕事を与えていく、そして適当に指導していくということができなければならんかと思うんでありますが、そういうこともですね、みなさんがやはり工夫していただきたい。みな個性がありますから、同じ形でそういうことがあらわれると思いません、みなそれぞれもち味、もち味によって、あらわれてくるもんだと思いますけども、そのもち味によってあらわれてくる、その姿は多少変わりましても、それはかまわんと思うんです。

 

 しかし、要は部下の人が非常にこうおもしろく仕事をし、自分のその仕事を繰り返して自分の腕を磨いていくというようになるようなやり方ですね、そういうことをいろいろまあ、みなさんが過去の歴史も読み、また成功した人の伝記も読みですね、いろいろまあ、勉強すると自然にわかってくると思うんです。そいて自分の持ち味というものを考えてやっていけば、私はある程度、百%はこれはいけないとしても、少なくとも七十五%はやれると思うんですね。

 

(昭和34.10.1)

 

 みずから率先垂範をしつつも、部下の力が十分発揮されるようそれぞれの持ち味に応じてきめ細かな心配りをしていく。そうすることによって、従業員がただ、〝命これに従う〟というのではなく、それぞれに創意工夫をこらしつつ、自主的に仕事に取り組むようになるということです。そういう活気にあふれた姿を生み出してこそ、人も育ち、事業も発展するということでしょう。


第17話 率先垂範

 

 私はこういう時に、やっぱり体で率先垂範するか、精神的な率先垂範するか、心身ともに率先垂範するか、いろいろありましょう。体が悪い人はね、身体をもって率先垂範することができない。そうすると、精神的な面で率先垂範せないかん。誰よりも一番多く心配している、端からもそれがよくわかる。〝うちの工場長は非常に心配してはんな〟〝気の毒なほど心配してはんな〟〝われわれも手伝わないかんな〟、こういうようなね、心をおこさしめるようなものをもたなあかん。

 

 あるいはそういうように心でそういうものがなくても、一生懸命に体をもって率先垂範する。きのうまでは会社へ来て一時間は机に向かってまずお茶を飲む、新聞をちょっと見る、おもむろに仕事をして帰る、それが今までの態度でした。しかし、最近になって工場長の態度が変わった、事業部長の態度が変わった。来るなり、もう仕事の方へ、まあ相談しはる、われわれに意見を聞く。〝あっ、これは変わったな〟〝この時局に対して率先垂範するという気分が出てるんやな〟という感じを部下に与えることができるかどうか。
 

 そういうことがね、感知せしめるような真剣な態度がみなさん個々の上に出てこな(いと)嘘やと思う。ぼくは五十五年の今までの体験でね、そういうことがいつの場合でもあったわけである。それを知ってくれる人もあるし、知ってくれない人もある。十人の部下があればそれを知ってくれる人は五人である。後の五人はそういうことには無頓着であると言う人がある。しかし、何人かは必ず知ってくれる。そうするとその空気が変わってくる。そして、一言も言わんでもですな、自分の態度をもって何を要求してるか、何を望んでいるかということを力強く部下に映るわけである。そういうものをもたずしてですね、困難に直面して、その工場なり部署なり会社をばよくするということは絶対できない。そんななまやさしいもんではないということである。

 

・・・・・・

 

 うまくいっている時はね、「まあしっかりやってくれ」「なあ、みなさんやってくれ」と言うて、部下に命じて事すむ。それはそれでいい、そういう時もあってもいい。しかし、事、非常時に臨んだ時はそんなことではいけない。やっぱり率先垂範する。身をもって率先垂範するか、精神的に率先垂範するか、その両方をもって率先垂範するか、なんらかそういうものをもたなならん。そうすると、無言のうちにですね、空気(が)変わってくる。そういうことがですね、私はまずこういうような非常時に際しての、つまり責任者もしくは所長とか、首脳者の私は責任態度やないかと思うんですね。

 

(昭和50.1.15)

 

 経営者が示す目標や要求が、社員にスムーズに受け入れられていくためには、一つの前提が必要です。それはまず経営者自らが先頭に立ち、社員に身をもって範を示すということです。とりわけ非常時に直面し、これを乗り切ろうというような場合には、一層そのことが強く求められます。
 「やってみせて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」


第16話 適切な要求者になる

 

 まあみなさんのご事業は、われわれの仕事と違いますから、多少いろいろまた、お考えも違うんでありましょうが、しかし、こと経営にいたっては、私は同じやと思います。経営首脳者はたとえ少数の従業員であっても、その人に言うべきことを言うということを怠ってはならない。適切な要求者でなくちゃならない。そうでなければ、必ずそこからいいものが生まれてこないと思うんです。そうでありますから、みずからを要求しですね、同時に他に対して要求者にならなければ、私は社長としての責任は大小の如何にかかわらず、果たせないもんだと思うんです。

 

 私はまあ、自分で今日多少の仕事をさしていただいておりますが、その責任を果たしているかどうかということをつねに自問自答しております。そして、ある程度呼びかければですね、みなそれに相応じてくれます。それを呼びかけなければ、一方も頼りなく考えるんですね。だから適当に呼びかけるということは、適当な要求者になることであります。まあ、要求されることによってですね、まあそこにやろうという心もおこってくる。まあ、そう私は思うんです。

 

 私はまあ、いろいろ自分の得意先なり、また同業者なり、その他、他の業者の状態(を)みてますけれども、今私が申しましたような、社長が適切な要求者になっている会社はみな繁栄しています。しかし、そうでない会社というものは、そう発展しないと思います。まあ要求にしても、適切でなければこれはいけない。言うてはならんことを言うてみたりしたらね、わけのわからん社長やということになって、かえって反撃を受けますから、それはヤブヘビになる場合がありましょうが、しかし、言うべきことは断固として言うことがですね、私は必要やないかと思うんです。

 

 そうしてまた、これは言うべきことだということによって、かりに、それが誤解されて、それがために大きな問題がおこったといたしましても、それを恐れてはならない。それによって、あるいは会社がつぶれるような原因をなしても、もって冥すべしであるというような域にたたないかんと私は思うんであります。まあ、おそらくそういうことは私はあり得ないと思うんでありますが、あり得るかもしれません。あり得るかもしれませんが、われわれはなすべきことをして、そして後、天命に待ったらいいと私は思うんです。こういうようなことをやれば、反撃されたり、反対されたりして、困れへんか、だからやめておこう、というようなことは、断じてしてはならないと私は思うんであります。これは経営者の責任というものはそういう立場にいて非常にそれは大事やと思うんです。個人の利害を超越してですね、会社の立場を考えないけない。それは社会の立場に通ずるもんだと思うんです。そういう良識と申しますか、そういう信念をもたずして、会社の経営は私はできないという感じをいたしております。

 

(昭和40.7.3)


第15話 将来の方向を示す

 会社の社員がですね、今会社は、社長はやね、どういうことを考えているんだろうか、どういうイメージをもっているかということが、社員は知りたいだろうし、そういうものを社員にたえず知らしとかないかん。それを知らしてないとですね、どうしても力が入らない、なにげなしに働いているというようになる。三年先にはわれわれはこういう仕事をするんだ、松下電器はこうなるんだ、だからそういうようにみなさんも一つ考えてやってくれ。ぼくは今こういうこと考えているんだ、どうだろうか、とまあいうようなことですね。今会社は、こういうことをやろうとしているんだ、われわれの会社はこういうことをやろうとしているんだ、社長はまたそういうことをやろうということを考えているんだ、といいますか、そういう意味の一つの理解をですね、つまり社員全員がつねにもつ。広博の度はありましょうけどもですね、それをもたないかん、そういうものを与えないかん。松下電器の歴史で振り返ってみますと、十年前にですね、週二日制をやるというまあ一つの話したことがある。とにかく五年前に週二日制をやろう、それが一つの方針を与えたことになるわけである。いい悪いは別としてですね、とにかく一つの目標を与えたことになる。(昭和三十五年、社長当時、社内において五年後に週休二日制を発足させようと発表。同四十年四月、実施にふみ切った)

 

 また五年先には、欧州の賃金と同一にやっていくんだ、だからそのつもりで一緒にやろうやないか、というようなこと、これもやっぱり一つの目標を与えたことになる。社員は、いい悪いの別とかいろいろありましょうけども、うちとこの会社はそういう目標で進んでんやろうと、こういうことがまあ考えられる。

 

 あるいは五年先には、こういうものを製造していくんだ、そういうように今から準備に入るんだというようなことを一つ与えると、やっぱり社員はそのつもりになってやっていく。たえず方向を示すといいますか、会社の使命というものを刻々と発表していくというか、全体を引きずっていくというようなものをですね、経営にもたないかんと思う。もっと深くいえば経営哲学とでもいいますか、そういうものをもってですね、そこから理念を呼び出してそしてやっていかないかん。そういうとうになにか、今首脳者はどういう考えをもっているんだろうか、そしてその考えに自分も賛成だというような気分をですね、全社員につねにもたせとく必要がある。これをもたさんと具合悪い、それを年々新たなものを追加していく。そうしてですね、わき目をふらずやるようになってくる。

 

(昭和48.1.11)


第14話 経営者の出処進退

 

 私の過去に一つ感銘した話があるんですが、これは私は非常に教えられたんです。私が商売いたしまして十年ばかり(たった頃)にある人と取引きをいたしました。その人は当時非常に成功しておる人でありました。その人の話を私は聞いたんであります。「松下君、わしは今日こういうようにやっておるけれども、実は今から何年か前に、前大戦の終ってから、自分はすっかり失敗したんだ。そういう経験があるんだ」「ああそうですか。あなたも失敗した経験おありですか」「あるんだ。その時に松下君、ぼくはこういうようにしたんだ」ということを話してくれた、その話はどういうことかと申しますと、その人が失敗いたしましたから、自然、銀行にも大きな借銭がありました。とても自分の財産でその借銭を払えないということでありました。したがって整理をしなくちゃならんということになりました。そして整理をする時に自分の財産はすっかり出したというんですね。そして銀行にまぁ〝百両の抵当に編笠一蓋〟という昔のたとえ(百両の貸金に対する抵当が編笠一つであるという意)もありますように、すべての財産を銀子へもっていってですね、銀行の借財にあてようとした。その時に「家内の指輪ももっていった、家内のかんざしももっていった、自分はそれが正しいと思ってそうやったんだ」とこう言うんですね。そうしたら銀行の支店長が、「あなたそこまでせんでよろしい。あなたのお店にあるものを、金目のものはむろん銀行に提供してもらわなならんけども、あなたの奥さんのかんざしや指輪まで提供しなくてもよろしいから、これはもってかえってください」とこう言ったというんです。それで自分は、まことに相すまんと思ったけども、そこまで言うてくれるので、喜んでそれをもってかえって家内にそれをやったんだと。

 

 その後また志を得てその銀行と取引きをよくするようになった時には、銀行は、「あなたが再建されるということは非常に結構だから銀行としてはできる限りのことをいたしましょう」ということで、貸してくれたということがあったんだ、という話を私にいたしました。私はその時にじっと考えましてですね、もし自分自身が失敗した時にそういう潔いことができるかどうかということを、私は自問自答してみたんです。そして〝おれはひょっとしたらできんかわからんぞ〟というような感じも実はいたしました。そういう点からその人を非常に私は尊敬するようになりました。まぁ、青年であった、当時若かった私には非常にそれがまあ大きな感動となって自分の胸に入ったことを、今でも私は覚えております。

 

 まあ私が今日それと同じようにできるかどうかまだわかりませんが、非常にそういうことによって、事ある時にはそこまで徹底せないけない、ということを考えております。また人間というものは、いつどういうことがあるかわからない、いつどういうことがあるかわからんから、その時には潔くやらなならんということを考えております。会社を、経営をやめんならんという場合には、やめることが正しいんであれば、なんらの惜しげもなくしてやめないかん。まあ出処進退を厳にすると申しまするが、出処進退を厳にするところにこそ、人間の大事なものがあるんやないかという感じがいたします。

 

(昭和40.3.23)


第13話 失敗の責任は・・・

 

 なんと言いましても、五十年の間には経済界の好況、不況、いろいろあります。その時にどういう会社が倒れた、どういう会社が行きづまったか、どういう会社が成功したか、誰が成功したか、誰が失敗したかということは私は身をもって体験しております。というのは、われわれと取引きしているところの、利害をともにしているそういうお得意と申しますか、仕入れ先と申しますか、そういうところが時に行きづまり、いろいろ困難に陥っていると、そういうことを目の当たりに知っております。
 
 そして、それを考えてみると全部その原因は経営者自身にある。経営者がとるべき方法をとっておらないというところに、みなその原因がある。ある人に会って「こんな失敗した」「なぜ失敗したか」「いやぁ、うちの社員がどうも悪いことをしよったんだ」というようなことを言う人がある。「うちの関係先がこうこうで思わない失敗を被ったんだ」ということを言う。しかし、それすらもですね、社員の悪いことも、社員の不都合なことも、結局はおのれに責任があるということを考えねばならん。また、自分の取引先が思わない失敗をしたんだ、そのとばっちりを受けて困ってるんだということもですね、これも自分の責任である。なぜそういうようなところと取引きしたんか、取引きしているうちに悪くなったんやったら、なぜその時にちゅういしないかんかということを追及していくと、結局責任はおのれにあるわけである。誰にもない。みんな自分自身にあるんだ。会社経営者自身にあるんだ。こういうことを考えるわけです。

 

 そうでありますから、会社がどうなるとか、こうなるとか、いろいろ問題がありますけれども、全部よくないことがあるといたしますと、それは会社経営首脳者に責任があって、それ以外何ものもない。こういうようなはっきりとした考え方をもたねばならないと思うんです。

 

 というのは、私自身が五十五年それをやってきたんです。どういう場合でも、けしからんなあ、とこう思います。お得意先がつぶれた、えらい損をかけられた、けしからんなと思います。しかしそれはその瞬間である。その次の瞬間は、これはやはり自分が誤っとった。もうそういうことをちょっと考えれば、ああいうとこへ売ってはいけない、ああいうとこと取引きしたらいかんということがわかっているはずや。それをわからずして時を過ごしたとういことは、結局自分自身のこれはまちがいやないかと、こういうことになるんです。

 

(昭和47.11.17)


第12話 責任と給料

 

 お互いが各会社でたくさんの工員をもって働いていただいておりますが、工員があやまちをおかすということがある、あるいは働きがにぶいということがある、成績がよくないということがありましても、それはまあ、考えてみると大きな失敗をするということはありません。かりに平均三万円の賃金を払っている工員の方がたであれば、非常によく働いてくださる方であれば五万円の働きをしてくださる。まことに結構である。しかしそうでないあまり熱心にやらない、あんまり感心せんなあというような工員の人でありましても、ある程度みんなやるんであります。そうでありますから三万円あげて、二万五千円の仕事をしかしないというぐらいの差は私はこれはあると思うのです。それをまあよき指導をいたしまして、三万円の給料をあげている人に二万五千円の仕事をしてもらったんではソロバン合わんから、まあいろいろと面倒を見、話もして三万円の原価をあげてもらわなければいかん、あるいは三万五千円の儲けをしてもらわなければいかん、そうせんと会社がマイナスになるからということになるわけです。

 

 だから、いわば大きな失敗というものは工員間ではないと一応考えていいと思うんです、むろん例外もたくさんありますが。しかしそれが課長ともなり、部長になってまいりますと、そうはいかないと思うのであります。課長なり、部長になりまして、かりにその方に十五万円月給あげているといたしましてもですね、だんだん権限を委譲していくという今日の趨勢から考えてみまするとですね、重大な問題がそこにおこってくると思うんであります。下手をすると十五万円あげているところの課長なり部長は、百万円も二百万円も損することをやらかすかわからないんです。一生懸命やっておっても、そういうような失敗がざらにございます。それに反してまた、百万円も二百万円も儲けてくれる課長もあります。それほど変動が激しいということになる。

 

 そうでありますから、中堅幹部とでも申しますか、そういう方がたの職責といいますものは非常に重かつ大であるということを考えねばならんかと思うのであります。それを経営者の立場にあるお互いといたしましては、よく見きわめて、あやまちなきよう期していかなくちゃならんかとおもうんでありますが、だんだん会社が大きくなりますると、そうもいかない、ということになろうかと思うんであります。まあ、部課長はそういうように損得の非常に大きな差をもっているということでありますね。

 

 それがさらにもう一つ一段上にのぼりまして重役クラスと申しますか、首脳者クラスと申しますと、もっとこの差が大きいと思うんであります。それは一社をつぶし、一社をおこすというような大きな差があります。月給なんて問題ではありません。かりに百万円の俸給を常務さんにさしあげるということにいたしましても、百万円が逆に三百万円ぐらいもらわないかんなというように考える常務さんの働きもあれば、この人には一千万円でもまだ会社(としては)得やなというような働きをする人もあります。これが社長ともなれば私はもっと大きな差があるんやないかと思います。そこに経営者の私は責任というものが追及される時代になってきたんやないかというような感じがいたします。

 

(昭和40.2.11)


第11話 一人の責任

 

 私どもの会社でもですね、まあ私は社長の時分には、この会社がうまくいくいかんということはですね、自分ひとりの責任だということを考えないけない。と申しますのは、まあ私の社長としている立場というものは、「諸君は東へ行ってくれ」と言うたらですね、ほとんど東へ行くんであります。「いや、社長東へ行けば、私は西へ行きます」というのはないんです、ほんとうは。ほとんど社長の言うとおりに動いてくれるんであります。そうでありますからですね、東へ行く事が正しいか、東へ行くことが仕事上必要であるかということの判定をするのは社長です、社長の命令です。その命令がよくなかったら、みんなが要するに討死するかわからんです、早く言えば。

 

 そういうことを考えてみまするとですね、みなが言うこと聞かんといちいち反駁して勝手にやるんであれば、それはぼくの責任ではない。しかし、数万の人がおってもですね、全部が自分が「東へ行ってくれ」と言えば、東へ行ってくれるんです。そして成果が上がらないということは、社長である自分一人の責任だという考えをもたなならない。私はこういうように、つねづね自分に言うてきかしておったんであります。それでうまくいかなかったならば、潔く要するに社長をやめるべきである。おわびをしなくちゃならん、というように考える。そういう観点から私は私の会社の部、課の課長なり、部長を呼びまして、部の責任はきみ一人の責任であるということをいつも説いてきたんです。

・・・・・・・・・

 まあ、そういうことを考えまして、私はまあ会社は社長の責任、部は部長の責任、課は課長の責任であることの自覚において、お互いに仕事をしようやないか、というようにまあ、訴えているわけです。

 

(昭和39.7.17)


第10話 共存共栄を目ざして

 

 最近、みなさんもご承知のように、日本には資本の自由化ということがだんだん高まってまいりまして、日本も資本の自由化を認めなならん。言いかえますと、外国の企業、外国の資本を入れて日本で事業を行うということを認めなならんというようになってきております。そのために、日本は今、外国の企業なり外国の資本が入って縦横無尽にやられたならば、日本の企業がひとたまりもなくやられてしまうかもしれない。その(そうならない)ためには、ある一定の猶予期間というものを設けて、外国の企業なり、外国の資本が入ってきても、完全にこれをノックアウトできるように、巨大化していこう。またそれに対抗するような力を養おう。こういうことで政府もわれわれ産業界も努力しておることは、みなさんもご承知のとおりである。そういうこともですね、私は程度の問題だと思うんですね。完全にわれわれ日本の国民がですよ、日本の企業体がですよ、巨大化し、強くなって、いかなる企業といえどもノックアウトしてしまう。負けない、全部勝ってしまうというんであれば、これは力の鎖国やと思うんですね。それは自由化にならない。そういうことがあってはならないと私は思うんです。

 

 だから、外国の企業が日本に来て、大いにやってください。そして、われわれが、それに負けないように共存していくということをもって、前提としなくちゃあならないと思うんですね。外国から来ても、来てもみな敗退して帰ってしまうのやったら、鎖国になってしまうんですな。力の鎖国になりますね。そんな世界というものは、そんな日本というものを考えなくちゃならない。われわれは外国の資本、企業というものを、喜び迎え、そして、しかし負けて、われわれが敗退してしまうんでは困る。だから共存するように努力していく。われわれの努力は共存し得る努力である。彼らを敗退せしめるような力を養うことやなくして、共存する力を養うことである。私はこう思うんですね。同時にまた、われわれ日本人もですね、やがては外国へどんどん進出していく。そして共存を許されなければならない。そういうところにですね、世界の共通の発展というものが生み出されると思うんですね。

 

 まあ、いろいろ考え方はありましょうがですね、私はそう考えております。そしてわれわれもまた、日本人がですね、あるいは一人が、あるいは団体が、あるいは大きな会社、小さい会社ともどもですね、海外に進出してですね、それで共存することを許される。いや日本人が来たらもう損してでも物を売って、敗退するように追い返そう(というよう)なことを、よその国が決議したり、そういう運動をおこしたり(すれば)、これはわれわれは負けですね。そうやなくして、喜び迎えてもらうと、われわれも。そうして世界は全体にして、やがては関税の障壁も取ってしまう。そして、世界の共存共栄というものを、逐次上げていくというところにですね、われわれのねらいというものをもたなければならない。

 

・・・・・

 自他共存の繁栄のためには、会社はどう経営せなならんか、どういうことが正しいか、基本的にはそういうものをもってですね、その上に百花繚乱とでも申しますか、そういう形において各社が栄えていくというようにすることがですね、私は非常に望ましい社会であると思うんです。そういう国家が形成されるということが非常に大事である。

 

(昭和42.11.29)


第9話 中小企業は弱くない

 

 自分が全身全霊を打ち込んで、それで仕事をすれば、十人なり二十人の従業員というものは全部自分と同じようにみな活動してくれる。だから百の力をもっている人を三百に使うことができる。これが中小企業の本質である。大企業になるとそうはいかん。幸い素質のいい社員を集めてもですね、その働きというものはもな70%ぐらいしか働かんのや。これは働かそうと思うてもそうはできんのだ。組織やとか何とかそういうもんつくってですね、どうすることもできないんだ。それが大きくなるほどそういう傾向である。大きな会社ほどそういう傾向である。

 

・・・・・・・

 私はなぜそういうことを言うかというと、私も中小企業の過程をとおってまいりました。小企業から中企業、中々企業という過程をという過程をとおってまいりました。百人前後使っている時に、同じ同業者に一万人も使ってる会社もありました。競争ですわ、これは。私はその時に「必ずうちは勝つ」と私は言うた、従業員に。「なんででんねん」とこう言うから、「うちがこれをこう今、考えようと思うて、これを考えた時には、すぐあした製造できるやろ。私が言うたら、きみも『よっしゃ』と言うて製造するやろ、早いやないか。何々大会社は社長がそう言うても、それを製造するのは半期先や。だんだん、だんだん、だんだんといってから、半期も先にようやく製造するのや。半期遅れるやないか。うちは即決やれるやないか。それだけでもうち勝つからきみ安心せえ」と言うたら、「そらそうだんな」とこう言うんです。で、そのとおりなったわけです、早く言えば。
 しかし今はそうはいきません。だからほんとうに人生を味わい、ほんとうに喜びを味わい、ほんとうに生きがいを味わうということは、中小企業の間にこそそれが味わえるもんであると思うんであります。それをそう思わないという人は、タイの刺身を食べていながら味を知らないという人といっしょやと私は思うんであります。

 

(昭和37.12.6)

第8話 世間は正しい

 

 私は、この世間一般というものはですね、非常に正しい判断力をもっていると思うんです。そうでありますから、正邪というものを見分けることができるのが、世間やないかと思うんです。で、正しからざることであればですね、それはそのように判断する、正しいことをやっておれば、正しいというように判断してくれる。神ではないが神のごとく正しいものだと思うのがですね、世間の姿やないかと思うんです。

 で、そういうところに、私は非常な、つまり安心感というものがあるんです。世間が正しい判断ができないといたしますとですね、これは非常に不安でございます。こういうことがいいと思ってやってもですね、それは正しく受け入れられないということも考えられますから、やはり迷いがこっちにできてまいりますけれども、そうでなくして、世間がつねに正しい目をもって、判断し、見てくれるとなりますと、そこに大きな安心感というものが、わいてくると思うんですね。それは、経営の信念というものに結びつくと考えてもよろしいし、また信念がわくと考えてもよろしい。そういうものを私は自分なりに考えとるわけであります。で、そうでありますから、一つの勇気というと妙なことばになりますが、ま、私は、そこに非常に安心感がありますから、動揺しない。ま、それが見方によれば、一つの信念をもっているというようにも、見てもらえるんやないかという感じがします。

  この五十年の経営体験からですね、つねに、世間は正しいと。いろいろの動乱とか戦争とか、そういうものがありましたけども、しかしつねに正しいものが、その底に動いていると。で、私はなにもしらないけども、その正しいものの見方が動いているというものを見つめてですね、そして、安心感をもって、仕事と取り組んでいく、ということがですね、一つの経営態度であったというふうに私は自分で思うておるんです。そうでありますから、社員の人にもの言うのもですね、お得意先にもの言うのもですね、柔らかいことばをもって言いますが、非常に強いものがあるわけですね、ほんとうは。そうでなければ、やはり、わが思いをですね、達することはできないという感じがするんです。

 

(昭和44.6.5)

第7話 適正利潤の根拠

 

 適正利潤ということは、どういうことが適正利潤なんかという質問がありますがね。私どもは、商売によってみな違うだろう。
非常に簡単にね、大量の商いできる商売と、なかなかまだ大量にできない、一個一個ですね、力をこめて売らんならんような商売がある。そういうものは同じ適正利潤というても利幅が違ってくると思うんですよ。これは当然やと思うんです。

・・・・・

 で、私は自分らのような製造工業というものはですね、発展をするといたしましてもですね、だいたいその、少なくとも四分の一は利潤によって求めないかん、四分の三は借金によってやらなくちゃならん。かりに十億円どうしても資本を投資しなくちゃならん場合にはですね、年々そういうまあ資金がいるとするならばですね、二億五千万円は利潤によってそれを補う、あとの七億五千万円は株主の株の払い込み、あわせて借金というものによってやらなくちゃならんだろう。そのぐらいはまあ許されるだろう。全部利潤によってまかなうということは、ちょっとむずかしいだろう。それは好ましいけれども、そうはなななかできないだろう
、というようなところにですね、適正利潤というものを自分は求めているわけですね、早く言えば。
 それはどういうところから出てきたかというとね、かりに私の方が十億円の資本を持ってね、年にまあ十億円儲けたとしましょう。しかし、その半分は税金ですわな。十億円の資本金で十億円儲けるということはなかなか難しいですよ、ほんとうはね。けれどまあ幸いにして、努力して儲けたといたしましてもですね、これは株主配当でありますとか、あるいはまた賞与でありますとか、そういうようなものになって、あと残るは半分だ、二億五千万円だ、二億五千万円が会社に残るわけである、これは資本に使えるわけである。

・・・・・

 だから、まあ十億円儲けようと思ったら、百億円商いせないかん。百億円のものを製造販売しなきゃならん。そして10%儲けたら十億円ですわな。それでも二分五厘しか残らんですもんな。それすらも儲けすぎやというとったら、みな借金会社になりますわ。
 最近は、自己資本がだんだんうすくなりつつありますね。しかし、それでも発展してんのやから結構やないかといえば、それはまあなるほど借金経営でも発展してるということも言えますけれどね、これは決して立派な姿やないですね。借金によって発展していくということは、いつか何らかの形でですね、やはり問題がおこると思うんですね。だからその適正利潤を守るということは、それは天下のために守るんだ、大衆のために守るんだ、こういう正義感にたってるわけですね。

 

(昭和45.1.27)

 

第6話 利益確保は義務

 

 経営者としてのまあ考え方の一つとして、天下の金を使い、天下の人を集めて、そして事業をいたしまして、そこに黒字にならないということは、これは許されないことである。これはもう非常な大きな罪悪だと考えないかん。
 しかるに世論というものは、そういう状態において仕事をして、非常に儲けると、これはうらやましく考えられる。そやからコソコソとまあ儲けるよりしゃあない。儲けがあっても発表しないというようになる。そして損した人に対しては「あの人は、あの会社は非常に損した、気の毒だな」と、こういうことばを与えられる。なるほど個人の人情といたしましては、損した人に対しては同情し、気の毒だという個人感情を出すことは、私は人間として非常に好もしいことだと思うんであります。
 しかし、公の立場になってものを考えると、天下の金を使い、天下の人を集めて、そして事業をして利益が上がらない、赤字の状態にあるということは、それはその人は経営者として適正でないんだから、引きさがらなならん、また罰せられんならん。将来、ほんとうに正しい世の中ができてくると、そういう人は罰せられるんだ、そういう法律が生まれるんだと、こういう実は話をしたんであります。

 ・・・・・・・さすれば、自分の利益というものは、隣人のための利益である、社会全体のための利益である。この利益をとるという義務があるんだという考えをもてば、今度はお客さんに対しましての話もはっきりとしたことばになってあらわれると思うんです。「きみとこまけとけ、まけとけ」と言われてもですね、自分の商売だと思うと「まあ、まけとこか」ということになりますけれども、これは公の仕事を預っているというと、まからないということになります。そのまからない理由はこうこうだというて、得心のいくように話ができるようになると思うんであります。

 そういうような事業的信念というものをもたずして、私は小さい事業たると大なる事業たるとを問わず、やっちゃならないという感じを実はもっておるんであります。これはまあ、「松下電器おまえとこよう儲けるよって偉そうなことを言うんだろう」とおっしゃいますけど、私の会社がうまくいくいかんは別として、私はほんとうに商売人としては、そう考えなならんのやないかという感じをいたしておる次第であります。一ぺんにそういうようにすればお得意からも叱られたりしますけれども、私はやはりそういう考え方をうまく言いあらわして、そしてその実を上げるということにお互い業者のため全体に努力をいたすべきだという感じをいたしております。

(昭和35.1.16)

 

 

第5話 利益とは
 
 われわれは、つくったものは利益を頂戴する。1円でつくったものは、1円20銭で売る。20銭の利益を頂戴する。まことにそれは正しいことであり、われわれはそれを要求するわけである。しかしそれだけで、利益あるだけで、この会社を経営しているかというと、決してそうではない。この会社には利益を超越した、もっと大きな尊い使命というものがあるわけです。それは何かというと、いろんなものをつくって、世の多くの人たちの生活を日一日高めていくと、こういうようにするところに生産の使命というものがあるわけです。で、その尊い生産の使命をあげていくためには、会社には資金が必要である。その資金を利益の形において頂戴するんである。頂戴した利益は、一部はわれわれは生活の用に供するけれども、その大部分は会社の資金にこれを回して、よりよき生産をつくっていく。そういう尊い使命があるために、利益はそこに求めるということが許されるわけだある。私はこう考えるんです。そういうように考えて、この松下電器は経営されておるんです。会社が儲けるために経営をするということは、まことに力弱いことであるし、そこからは偉大なものは生まれない。利益以上の大きな使命というものをお互いもっている。これは一人この会社だけやなく、すべての会社、すべての人がそういうものをもっている。そのお互いがもつところの尊い仕事を遂行するために、お互いがやはり健在でなくちゃならん。その健在のためには、いろんな物資も自分の消耗(のため)に必要である。
それを得心の上で社会から与えてもらおうと、こういうのが利益である。わかりますね。

・・・・・・・・・

 そういうつもりでやればですね、われわれに実力があるならば、われわれの社会に対する貢献が多ければ多いほど、それは報酬としてかえってくる、利益としてかえってくる。なんぼわれわれがもっと儲けたいと思っても、われわれのやることがその利益に相当しないような仕事をしておったならば、だんだんそれは社会からけずられていくということになる。だからお互いの実力と言いますか、お互いの働きが社会から喜ばれないような状態においては、社会からの感謝の報酬もくれない。そこらはもうきわめて簡単なことで、それはわかりますわな、早く言えばね。だからそういうためにですね、この会社は存在があるんだから、この会社の存在の使命を誰一人として傷つけることはできない。社員はもちろんである。外部の人たちといえどもこの尊厳を傷つけることはできない、ということをですね、われわれはつねに考えなならんですね。

(昭和34.5.28)

第4話 生産人の使命

 

 あらゆる物資を、あたかも水道の水のように、大量にしかも安く生産することによって、病よりつらい貧乏を克服する。そこにこそ生産人のほんとうの使命がある。そう感じた時から、自分は一段と喜びを持って事業に取り組むことができるようになった、と松下幸之助氏は述べています。

 

 どれほど貴重な物資でありましても、あらゆる物資が水道の水のごとく、値ありといえども、安くなったならばですね、この世に貧というものはなくなるだろう、貧乏というものはなくなるだろうと。

 

 四百四病の病よりも貧ほどつらいものはない、とこう申しております。・・・病気もつらいけれど、貧乏はさらにつらい。その貧乏を克服する、貧乏をなくするということは、結局値あるものといえどもですね、水道の水のごとく安くするということである。安くということは大量生産することである、というような感じをふとしたんであります。

 

 そうだ、お互いがこうして生産に従事する、あるいはまた生産を補助するようないろんな仕事がたくさんあると。結局の目的はですね、物資を多くつくって、たやすく消費するというような世の中をつくるんだ、そういうふうにしていくというところに生産者の使命というものがあるんだ。繁栄国家とか、文化国家とか、何とか申しましても、結局物資をたくさん作り出すということである。物資をつくり出して適切な配分をしていくというところにですね、今後の社会のあり方というものがあるんやないかということを私は感じまして、私はまあ非常にうれしく思うたんです。

 

 なにげなしに今まで仕事をしておったんがですね、これからの仕事はそういうところに使命があるということを自分は感じた。その尊い使命に邁進したということはこれほどうれしいことはないということを感じまして、私は自分の仕事に精をだしてやったと思うんであります。それからは、今までの、苦しいなあ、つまらんなあ、と思うこともですね、非常に少なくなってまいりまして、働くことに喜びを感じた。で、そういうような喜びを感じました姿には、友人にいたしましてもですね、お得意先にいたしましても悪い感じを持ちません。「きみよく働くなあ、勉強しているなあ、じゃ今度きみとこの買おうか」こういうようなことになりましてですね、いつの間にやら、世間の多くの方がたからご愛顧を被りまして、今日の松下電器ができ上がったというようなことでございます。

(昭和36.1.19)

第3話 真使命を悟る
 
 松下幸之助氏は、若き日にある宗教を見にいきました。そこで、驚くほかない発展の姿を見て、その当時商売においては不景気風が吹いているのに、どこが違うのか?と氏は疑問を持ちました。「人間というものは、心身ともに健在であってはじめて幸せですわな。一方は精神の健全性を与える。われわれの仕事はつまり要するに身の健全さを与えるということでしょう、早く言えば、ね。そうすると違いがないと私は思ったんですよ。」

 

 どこに違いがあるかということですね、そこに信念をもっていないということである。あの人たちは、こうすることによって、その人たちをほんとうに救うてあげるという信念に生きている。われわれは、これをやってこれだけ儲けさしてもらうのやというのやという非常に弱い信念にたっているわけですな。これはいかん。結局その尊い使命の自覚が足りなかったというところにですね、商売が弱体化してくるんだ。だからもらうべき金もようとらんのやと、早く言えば。これはいかんと、いうことをまあ、ホッと私は気がついたんですよ。

 

 それからね、えらい安心しましたんや、私は。だからむこうの発展よりも、われわれはガラス張りやから、もっと発展するだろうと。それが発展しないということはですね、わが信念に要するに弱さがあるんだ。これをお得意先に訴えないかんというたら、あくる日から言うことが変わりましたわな、早く言うと。今までは、「買うておくんなはれ、もう頼みますわ」というようなもんですわ、早く言えば。「安くしてまっせ」というようなことを言うているわけですわ(笑)。「あんたこれ買いなさい。買うことによって、あなたはこれだけの便利があるんです」ということが言えますわな。「そうするとあなたお得ですよ」ということになりますわな。また、買う人やなくして、販売する人やったら「あんたこれ、こういうように売りなさい。そうするとあなた、多くの人に喜びを与え、あなたはこれだけ利益が上がる。あなたのつまり生活なり、仕事は安定するし、それは尊い仕事なんだ。だから謙虚な心をもってやらなならんけどもですね、誰はばかるところなく正々堂々とやりなさい」と、こういうことが、まあいえるでしょう。

 

 そうすると今までより強くなりますから、「松下さんえらい強いこと言いまんなあ」というようなもんですわ。「いや、強いって、これがあたり前ですよ」というわけですね、早く言えば。われわれは、つまり要するに、慈悲で買うてもうてんのやない。われわれのやっていることが即、その人の利益になるんだ。そういう信念に生きようやないかというとね、得意先がすっかり変わってきたわけですわ。そうするとあなた、ぐうっと物がよく売れるわけですわ、早く言うと。至極簡単ですよ、早く言えば(笑)。

 

(昭和38.7.15)

第2話 税金で悩んだ話

 

 大正11年の頃やと思いまするが、その当時は私どもの会社は、会社やなくして個人経営でありまして、ごく小さいものでありました。その当時、町工場の小さいものは、年一回の税金の査定期になりますと、税務署の官史が付近の寺へ来てですね、そしてその付近のごく微小な工場、あるいは商店の主人を集めまして「去年はなんぼ儲かったんや、ここへ書きなさい」と。そこでこう書くわけですね。「去年は二百円儲かりました」「三百円儲かりました」と。で、それでもうおしまいですわ、早く言えばね。便利といえば非常に便利だったわけです。
 だんだんこう儲かるからですね、次に千五百円儲かった、二千五百円儲かった、それで五千円儲かったという時に、「ちょっと待て」と、こうなった。「おまえとこ、えらいよく儲かるな」と、こうなった。「では、一ぺんこれは調べに行く」となったんです。それを千五百円と書いておけばもう調べに来ないんです。だんだん、その、増やしていくからですね、これだけ儲かったらこれは税務署から出張して一ぺん調べると。〝えらいことやったなあ〟と私は思うたわけです。〝前のとおりしといたらよかったなあ〟と私は思うたんですけども、後の祭りですわな、ほんとうは。それで調べに来たんですね。

 

 松下幸之助氏は二日二晩寝られなかったのですが、三日目にある結論に達し、税務調査に臨みました。

 

 「もうすっかりあんた、思うように取ってください。じっと考えてみると、これは、ぼくのもんと違うんや。ぼくが働いて儲けたということになってるけども、これは全部国家のものだから、取るだけ取りなさい」と、こう言うてね、まあ、その話をしたんです。ま、そういう態度をとったわけです。
 「いや、そないにせんでもよろしいで」とこうなって、適当にすんだんですが、・・・・・
  
 まあ、そういうことが、私が体験からもっておりました関係上、まあ、戦後の展開にいたしましても、結局、企業というものはそれと同じであって、全部国家のもんであって私のもんでないんだ。それを私のもん、あるいは私らのもん、あるいは株主のものだというような考え方でやっているところに問題があるんだと。だから、企業は国家から預っているもんであるという観念にたって一切を見て行こう。そうすれば非常に楽であるし、まちがいがない。こういうまあ考えでやってきておるんですが、私は、今、企業と社会というような問題がですね、ともすれば問題になりますが、これはひとり日本だけじゃありません。自由資本主義の国家においては、とくにそういう兆しがございます。そういうような点に対しましてですね、はっきりとわれわれ企業者たるものは、一つの概念と言いますか、企業観というものを打ち立てないかん。その企業観というものは、今申しましたようなことを考えてはどうか。で、そういうところから一切割り出してものを考えていけば、非常に力強いものがもてるんやないか、というまあ、感じがするんであります。(昭和46.2.3)
             

第1話 企業は誰のものか


 私は企業についてですね、はっきりとした考え方をお互いにもっておらなければならんかと思うんであります。そのはっきりとした考え方と申しますと、企業は誰のもんであるか、ということだと思うんであります。今のですね、通念から言いますと、企業は私のもんである、あるいは私どものもんである、こういう考え方がですね、通念として考えられています。そして、その通念に従って経営をしていっている。これが今日の状態やないかと思うんです。自由資本主義の形においてそうならざるを得ない、ということは、一応わかるんでありますが、私どもはそう考えていっていいんかどうかと、あるいはもう一つ深く考えてみてですね、そうではないんだと、それは企業が発展する上において便宜であり、また効率的であり、好ましいから、私企業という形において自由資本主義というものが認められているんだ。しかし、実際はですね、その本質はそれは国家共有のもんである、こういう考えのもとにたって、企業というものをみていっていいんかどうかと、こういうことだと思うんです。

 

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 少なくとも今までは別といたしまして、これからは、お互い企業はですね、国民全体の共有財産である、共有の事業である。それを便宜的に自分たちが預って経営しているんだから、この企業というものは非常に大事にしなくちゃならんのだ。企業が発展するか発展しないかということによって、国民の福祉が増進するか増進しないかということに結びつくもんである。だから非常に大事なもんであるということを考えるときにですね、そこに非常に強いと申しまするか、非常に力強いものが生まれてくると思うんであります。これが、私は企業に対する一つの考え方だろうと思うんです。(昭和46.2.3)